第16回『平蔵の妻・久栄』

 第21話「むかしの男」は、平蔵の妻・久栄が主人公の物語である。天明8年のことであるが、平蔵が慰労のため火付盗賊改めの兼務を解かれ、後任なしで半年間休養した時があった。この時平蔵は父の墓参りで上洛したが、その隙に彼を恨む盗賊一味が久栄と6歳の養女の殺害を計る。しかし久栄は的確に対処をし、奉公人達や夫が頭を務める御先手組おさきてぐみ・弓組の与力・同心も動かし、計画を失敗に終わらせる(「むかしの男」及び「盗法秘伝」文春文庫3巻)。

 物語は平蔵が留守の目白台の長谷川屋敷に、雑司ヶ谷・鬼子母神の茶店の老婆が、お客の久栄宛の手紙を届けにきたことから始まる。この時久栄は41歳。18歳の時に平蔵の妻となり、2男2女を産んだが、若く見えた。人柄はさばけており、それでいて奉公人達が心服せざる得ない威厳が備わっている。

 その久栄宛の手紙には、「明日午前10時、護国寺の茶店、よしのやまでおこし下されたく」などと書かれていた。その筆跡からも差出人の「勘」とは、近藤勘四郎に違いない。久栄は唇を噛みしめ、感情を抑える。

 近藤勘四郎は20余年前、17歳の久栄をだまして捨てた男であった。その時、久栄の父・大橋与惣兵衛が本所で隣屋敷に住む平蔵に、「もう久栄も嫁には行けぬ」とこぼしたところ、平蔵が優しく、いろいろと父を慰め、「よろしければ、私がいただきましょう」といってくれた。

 翌年久栄は平蔵の妻となる夜、両手をついて「このような女でも、よろしいのでございますか」というと、平蔵が「お前はいい女だ。前からそう思っていたのだ」と答えた。この時の感動を久栄は今も忘れられない。

 翌日久栄が独りでよしのやへ行くと、裏手の離れ屋の前庭に案内された。障子が半分開いており、中から「ようまいられた」と近藤の声がした。久栄は閉じた障子の側に身を隠し、「私は貴方様に会いたくて、まいったのではござりませぬ」と断わり、近藤が昔娘心をもて遊んだ上で、吉原の遊女と逐電(ちくでん)し、その際大金を強奪、3人も殺傷したが、あんな手紙を寄こしたのは何故か、「平蔵にかわり、うけたまわりましょう」という。しかし返答はなく、部屋に上がれなどと執拗に誘うので、「何を馬鹿なことを」と吐き捨てるようにいって、久栄は外へ出た。

 そして久栄は目白台へ急いだ。近藤が「屋敷へ戻り、驚くなよ」と最後にいったからだが、やはり異変が起きていた。老婆が又来て、久栄が鬼子母神で浪人に斬られたと告げたのである。すぐ杉浦用人は若党1名を御先手組屋敷へ走らせるとともに若党1名、中間ちゅうげん2名を鬼子母神へ駆け付けさせたが、この騒ぎの中で老婆が養女のお順をさらって消えてしまった。

 しかもこの老婆の手がかりは全くない。そんな時に久栄は馬で駆け付けてくれた御先手組の佐嶋与力を部屋に招き、近藤勘四郎なる者が老婆を使い、自分を呼び出したが、近藤には独りで会い、その後中間・鶴造に尾行させ、近藤の居所を突き止めることにしていると述べたところ、佐嶋は久栄の的確な対応に感嘆、一同に鶴造が帰るまで動かないように指示した。

 鶴造は夜に帰ってきて、近藤が巣鴨の庚申塚こうしんづか周辺の百姓家に入った旨を報告した。久栄は眼をうるませて礼を述べ、与力同心達も褒めそやしたので、鶴造も嬉し泣きをする。

 こうなっては一刻の猶予もない。しかし久栄は佐嶋に「平蔵が無役ゆえ、御公儀の許しも得ずに勝手な行動ができますか」と問うと、佐嶋は「かまいませぬとも。悪党を捕えるのです。それに長官の火盗改めの御役御就任は、御公儀で決定済。おまかせ下さい」と答えた。お順の救出が急務であるし、久栄は覚悟を決めた。

 そこで佐嶋は松明を持ち、同心3名、鶴造、中間4名を引き連れ、巣鴨の庚申塚に急行し、百姓家に火を付け、出てきた盗賊3人と老婆と近藤を逮捕し、お順を救出し、目白台へ戻ってきた。久栄は佐嶋が抱いたお順(「啞の十蔵」の薄倖の女・おふじの子)を見て、狂気の如く名前を呼び、抱くと頬ずりをした。

 一方佐嶋はすぐに犯人を町奉行所に渡さず、手足を縛って土蔵に入れ水しか与えなかった。4日後帰ってきた平蔵は、久栄からすべてを聞いた後、老婆を責め、老婆が中国地方の盗賊・霧(なご)の七郎の義母、七郎は「啞の十蔵」で処刑された小川や梅吉の弟、近藤は七郎の配下、既に逃亡していたが、七郎の旅宿は浅草橋と白状させた。

 町奉行所は近藤の過去の悪事が明白であるため、ろくに取り調べもせず、はりつけに処し、他は島送りとした。久栄は近藤のことで夫に迷惑をかけなかったことを喜んだが、それも佐嶋や鶴造が事情を察し、一生懸命助けてくれたお蔭であると感謝するのであった。

 なお『寛政重修諸家譜』によれば、平蔵の妻は2百俵取りの御舟手頭・大橋与惣兵衛の娘で、2男3女(1女は夭折)をもうけたとある。