第18回『珊瑚玉のお百』

 火付盗賊改め方の役宅に近い九段坂下のよしず張りの居酒屋に、ある夜遅く、42歳位の色白で細面の女性が現われ、平蔵宛の手紙と2分銀の入った紙包みを亭主の久兵衛につかませた後、すぐいなくなった。

 午後11時前、見廻りから帰ったばかりの平蔵が、久兵衛から届けられたその手紙の中味を見ると、「こんや、九ツ半(午前1時)に、ふか川、せんだいぼり、かまくらやへおしこむぬすっと十五にん」と書かれている。

 もしこの密告が本当であれば、残り2時間しかない。平蔵はすぐ役宅に居る者に出動を命じ、午後11時20分、12名を引き連れ出発し、夜道を駆け続け、足袋問屋・鎌倉屋を取り囲んだが、盗賊は既に押し込んだ後であった。

 猶予はならぬ。平蔵は先頭に立ち、鎌倉屋へ突入し、物凄い闘いが始った。結果は斬った盗賊が7名、捕えた盗賊が首領の凶盗・伏屋ふせやの紋蔵を始め7名、見張り役で逃げた盗賊が1名であった。しかし金蔵を開けさせられた主人以外の者は助けられなかった。

 翌朝平蔵は昔なじみの老密偵・相模の彦十を呼び、紋蔵を見せると、平蔵も知る御家人・横山小平治に顔が似ているという。また久兵衛を呼び、昨夜の女性の特徴を聞くと、左脚が不自由であったというので、平蔵も彦十もその女性は横山の子を産んだおひゃく、その子は紋蔵に違いないと思った。

 平蔵が20歳の頃、深川の茶店・車屋にお百という可愛い16の娘が働いていた。姉ヶ崎の農家に生まれたが、継母に追い出されたという。自分も義母と折合いが悪く、本所の屋敷を飛び出ていた時なので、平蔵はお百に同情し、よく励ましていた。

 ところが本所には横山小平次という悪い御家人がいて、これが美男子で口先もうまいので、純真なお百は騙され、妊娠してしまった。困ったお百は屋敷の前で待ち受けるが、小平次は相手にしない。しかしある日の夕方、待ち受けたお百は小平次に連れられ、聖天宮へ行ったところ、高い石段の上から突き落とされてしまった。

 左脚を折り、半死半生のお百は、幸い発見され、夜遅く車屋へ運び込まれた。余りのことに主人も平蔵に助けを請い、お百も泣いて頼むと、平蔵は直ちに小平次を押上村に呼び出す。10人の無頼どもが襲ってきたが、当身で全員倒すと、小平次の左腕をへし折り、お百に50両を出す約束を取り付けた。

 一方お百は奇跡的に丈夫な男の子を車屋で産み、また主人も間に入り、飯野の商人の後妻に子連れで嫁ぐ縁談も決まった。持参金は1年後に病死した小平次の払った23両と平蔵の餞別5両の合計28両であった。

 回想から醒めると、平蔵は密告したお百を救うため、紋蔵を庭先に座らせ一芝居を打つ。お百はお前の畜生働きが嫌で密告をしてきた、俺がお前の父親だからだ、父が人知れずお前を成敗してやるといって、大刀を振りかぶり、脳天へ打ち下ろし、すれすれでぴたりと止めた。紋蔵は気絶したが、蘇生すると反抗心が失せていた。そこで平蔵が自分も責任を取り、切腹するが、お百だけは助けてやりたいというと、紋蔵は泣きながら供述を始めた。

 紋蔵が物心のついた頃、お百は木更津の旅籠・笹子屋の亭主・長兵衛の女房であった。亭主の長兵衛は実は房総、常陸を縄張りとする盗賊であったが、人を殺さない、女を手ごめにしない、貧しい人へ手を出さないの3カ条を固く守ってつとめをしていた。

 紋蔵が19の時、長兵衛が死んだので、お百は、お前は実は侍の子だ、足を洗って笹子屋の主人になれと頼んだが、紋蔵はお百に内緒で21の時から畜生働きを始めた。その内笹子屋が捜査の対象になったので、2人は江戸へ逃げ、浅草今戸の茶店を買い、お百がいきいきと切り盛りを行った。

 しかし今回仙台堀の鎌倉屋に押し込むと決めた時、畜生働きをするなら盗賊改めへ訴えるとお百がいうので、監視のため青田の文太郎を残したが、青田の弟の半助が逃げたので、おふくろが危ないと紋蔵はいう。

 平蔵は直ちに馬に乗り、8名を引き連れ、浅草へ駆け向かった。茶店の表の戸口には、お百が半助の胸へ短刀を突き刺し、半助はお百の背中へ短刀を突き立てていた。また押入れにはお百が密告のため毒殺した青田の死体があった。さらに土間に、お百が江戸を出る時に平蔵が贈った小さな珊瑚玉のかんざしが落ちていた。お百はいつもこのかんざしを差し、あの時の平蔵の温情を忘れなかったと見える。そして平蔵が治安を守る江戸府内の畜生働きを、我子にだけはさせられないと、不自由な足で九段坂へ急いだのであろう。

 いよいよ明日は処刑となる前夜、平蔵は紋蔵を牢番小屋へ引き出し、軍鶏しゃも鍋、熱い酒と飯、みかん3個をふるまってやった。食事が終わった頃、平蔵が現われ、珊瑚玉のかんざしを贈り、明日はこのかんざしを抱いていけというと紋蔵は素直にうなずいた。

 平蔵が居間へ戻ると、久栄が
「殿をまことの父親と思いおりますのでございましょうか」
「紋蔵はもうすべてを察していたらしい。俺が嘘つきだということをな」
「久栄」
「はい」
「彦十と相談して、お百をどこぞの寺へ葬ってやってくれ」
「心得ましてございます」(75話「密告」文春文庫11巻)