第19回『おまさ血闘』

 平蔵は20歳の頃、父・宣雄のぶおに引き取られ、実母と別れて本所・三ツ目の長谷川屋敷で暮すようになったが、継母・波津はつにいじめられ、殆んど屋敷へ寄り付かなくなった。

 そんな時寝泊りしたのは、本所・四ツ目の「盗人ぬすっと酒屋」という看板を出した居酒屋であったが、そこの亭主が昔、たずがねの忠助といった盗賊で、その一人娘が本編の主人公のおまさであった。
 
 忠助は無いところから盗らず、人を殺さず、女に乱暴をしない本格の盗賊であったが、平蔵を見て、侍の中にもこんな男らしい男がいるのかと大変気に入り、中2階の部屋を自由に使わせたのである。

 当時10歳位だったおまさも、平蔵が大好きであった。彼が飲み過ぎた時は看病したり、翌朝白粥に梅干、香の物を添えたものを器用に作り、甲斐甲斐しく部屋へ運ぶのであった。

 しかしそんなおまさに悲しい別離の日が近づきつつあった。平蔵が長谷川家の跡取りになることになり、屋敷へ戻ったのである。そして23歳の時将軍・家治いえはる初御目見得はつおめみえを許され、27歳の時には京都西町奉行となった父と上洛、28歳の時父の急逝により江戸へ戻り、家禄400石を継いだ。

 一方この間におまさは最愛の父を病気で失い、あの「盗人酒屋」をたたみ、独り父の故郷である上総かずさへ去っていったのである。

 そのおまさが火付盗賊改め方の役宅を訪ねてきたのは、昨年の10月のことである。平蔵がすぐに会うと、おまさは30を超えていたが、黒くてぱっちりとした双眸そうぼうとおちょぼ口に昔の面影を残していた。

 おまさはこの時乙畑おつばたの源八という盗賊の引き込み女をしていたが、元々盗賊の世界が好きではなく、長谷川様が改め方長官になられた機会に足を洗い、密偵となって長谷川様のために働きたい、それなら亡くなった父も喜んでくれようと平蔵にいうのである。

 さっそく平蔵は乙畑一味を逮捕したが、密偵の仕事は大変危険なので、おまさにさせるつもりはない。だがおまさの想いは余りに強く、久栄に相談すると、おまささんは貴方を忘れられないのです、それが女ですといわれたので、おまさの好きなようにさせた。

 以来彼女は「まき紙・おしろい・元結もっとい・せんこう」と書いた紙をはりつけた箱を背負い、手におはぐろの壺を下げて、小間物の行商をしながら江戸の町々を廻り、平蔵にいろんな情報をもたらした。それが改め方の活動に大変役立つので、平蔵はおまさを密偵にし、困った女だとこぼしながらも、次第におまさに期待するようになる。

 そして4か月が過ぎた頃、山田同心が平蔵に、先刻おまさに会うと、浪人の大盗賊団が江戸で大仕事をするといっていたと報告をした。しかしそれから4日経ってもおまさから連絡がないので、平蔵が下谷しもやの長屋を訪ねたところ、今朝おまさが3人組の男にさらわれたと大騒ぎになっていた。

 平蔵が御用聞きに断って、独り入念におまさの部屋を調べると、畳のへりに縫針が刺してある。すぐ畳をはがすと、一枚の紙があり、「しぶ江村、西こう寺のうらのばけものやしき」と大盗賊団の所在地が書かれていた。

 すぐさま平蔵は今戸橋の舟宿へ行き、船頭・由松に、役宅へ駆けつけ、5、6人すぐ化物屋敷へ来いと伝えてくれと命じて船に乗り、渋江村(今の葛飾区東四つ木)で下り、由松はそこから陸路役宅へと駆け去った。

 ここまではよかったのだか、通常2時間で到着する部下達が4時間経っても来ない。ぐずぐずしていたらおまさの命が危ない。夕闇も濃い。平蔵は単身屋敷へ乗り込む決意をし、見張りを警戒しながら、用水の小舟から出て、屋敷の裏からうまく侵入した。

 母屋と離れをつなぐ渡り廊下をくぐり、木立の中にうずくまっていると、離れから蝋燭ろうそくを持った2人が渡り廊下へ現われた。話の内容から一人は盗賊で、おまさをよく知り、誘拐をした男である。その男が浪人と別れて、離れへ戻るところを平蔵は背後から忍び寄り、口を押え、首を締める。

 離れへ進み、障子に穴を開け、小部屋をのぞくと、おまさが縛られている。1人見張りの浪人がいるので、盗賊の男が帰ってきたように部屋へ入り、突風のように浪人を襲い、首を締めた。そして脇差で縄を切ると、おまさが、感動のうめき声を出し、平蔵へかじりついてきた。

「苦しかったろう」
「いいえ、こんなことぐらい、か、かくごのまえで、ござります」

 その時別の浪人が小部屋の入口に現われる。平蔵は脇差を胸元めがけて投げて倒し、すぐ畳をはがし、床板をめくり、おまさをふとんと共に床下へころげ落し、床板・畳を元に戻し、行灯の明かりを消した。

 苦悶する浪人の絶叫を聞いて、母屋に残る14人の浪人が小部屋の平蔵に殺到し、すざまじい血闘が始った。おまさは頭上にその物音を聞きながら、平蔵の無事を懸命に祈る。

 長い時間が経ったが、急に人のどよめきが聞え、頭上の物音がしなくなった。平蔵が浪人を8人まで倒したが、追い詰められたところで、事故で遅れていた改め方が到着したのであった。しかし、おまさもしばらくして、頭上で平蔵と佐嶋与力が話をしているのを聞き、長谷川様は無事であったのだ、改め方の皆様が助けに来ていただいたのだと気付いた瞬間、感動が込み上げ、涙が止まらなかった。(第25話「血闘」文春文庫4巻)