第25回『番外編 乳房(下の壱)』

 それから2日後、松浦屋庄三郎は助けてもらったお礼を述べに長次郎宅を訪ねた。生憎お松は外出中であったが、年が明けたら又お松さんにお礼に参りますと、丹後縮緬一疋を差し出し、帰っていった。それを見ていたお兼が、松浦屋さんは、お松に一目惚れをしたのではないかというので、長次郎はびっくりする。

 同じ12月27日、岩五郎は浅草の舟宿小串屋で赤堀の芳之助と会い、倉ヶ野お頭が部下にお金を与えて引退するためのお盗めに参加することになった。ただし倉ヶ野は念には念を入れ、岩五郎の見張りを開始する。

 明けて天明8年。お松は26歳、長次郎は47歳となったが、その長次郎が新年早々風邪をこじらせ、寝込んでしまった。年始に訪れた松浦屋が心配し、店から高価な薬を持参したり、3日に一度お見舞いに来る。それを見た長次郎も松浦屋が後添いにお松をもらいたいと思っていることに気付き始める。

 正月の25日、お松は女頭巾をかぶり、元黒門町の医者中村彭庵先生宅へ長次郎の薬を取りに出かけた。途中湯島天神で松浦屋さんに呼び止められ、近くの茶店の一室でお話を承ると、是非私の後添いになってほしいと、両手をついて頼まれたのである。

 しかしお松の胸の底には、勘蔵が不作の生大根とののしった声が今も重く澱んでいる。倉ヶ野の旦那も自分の身のまわりの世話をする女がほしかっただけだと思う彼女の口からは、自然と辞退の言葉が出てくるのであった。

 一方岩五郎は2月1日、秘密の連絡方法で佐嶋与力と会い、約1カ月見張られていたが、1月28日に倉ヶ野お頭に引き会わされた、押し込先は芝口の菓子舗海老屋である、自分は金蔵の奥の錠前破りをする、押し込みの日は不明である、自分への見張りは28日以後解除されたと報告すると、それは佐嶋により直ちに長官に上げられた。

 これを受けて長官は2月4日、秘かに浅草の蕎麦屋で岩五郎と会い、固めの盃を交わした。越中高岡で生まれ育ち、道を踏み間違えて盗賊となり、今は「狗」ともいわれる者に対する破格の扱いに、岩五郎は感激した。

 また岩五郎がここはしばらく改め方は動かないで、自分ひとりにまかせてほしいと進言すると、素直に受け入れ、さらに金10両を手渡してくれる長官に、岩五郎は感動する。

 同じ日の午後、お松は中村先生の薬をもらいに行く途中、湯島の切通しの茶店で加賀屋の同じ女中だったおきねが子供に饅頭を買っているのを見た。しばらくしてお松は女頭巾を取り、おきねの方に歩きだし、擦れちがったが、おきねはお松と気が付かなかった。お松はまるで生まれ変わったような気分になってくる。

 そのまま拝殿へ向かうと、右側の松の木陰に立って松浦屋さんが見つめている。まだ私をあきらめていらっしゃらないと思うと、なぜか胸が躍った。お参りした後振り返ると、松浦屋さんはまだ見つめている。再び頭を下げ、参道を歩むと、じいんと熱いものが体の奥底から衝き上げてきた。

 2月12日になり、岩五郎から佐嶋与力を通じて長官に押込先の海老屋にそろそろ見張りを付けてほしい、という連絡が入った。早速佐嶋与力が周辺を視察し、海老屋の筋向いの眼鏡師の宅が良いということになり、13日眼鏡師と交渉し、見張所が決まった。

 また13日には、長次郎等の主治医の中村先生が久しぶりに九段下の役宅にいる平蔵を訪ね、平蔵の父の位牌に合掌した。平蔵の父は昔平蔵と比べ数倍頭の良い中村青年を医師にすべく助力したのであった。

 2人は盃を交わし、談笑したが、中村先生が銀煙管を取り出した時、平蔵が驚いた。それは先代勘蔵作の煙管であった。そういえばといって中村先生は、私の家に薬を取りに来る女も驚いていたと語った。その女はお松といって竹細工師の女房の孫娘で、左頬に傷があるが、無口で気立てのよい女で妻も気に入っていると付け加えた。平蔵はそれは行方不明のお松であろうが、今更三次郎に告げても仕方がないと思うのであった。

 中村先生が平蔵のところから帰宅すると、妻が少し前にお松さんがきて、長次郎さんが急死したので、是非先生に見てほしいといったという。先生はすぐに駆けつけ、心臓発作に襲われた長次郎に合掌をし、思うままに世を渡ってきて、長次郎は幸せな男よと、別れを告げた。

 お松は長次郎の通夜、葬儀には、お兼にいわれて、顔を出さず、お兼の家にじっとしていたが、おじさん、お見送りもできずに、ごめんなさいねと、手から数珠を離さず、胸の内で長次郎に詫び続けていた。(続く)