第53回「池波正太郎の銀座日記(1)」

 岩倉節郎さん達のお陰で、自分の故郷が井波で、歴史があり、人情のある町だと知った池波は、以来度々帰郷し、故郷の人達と親交を深める。そしてその様子を書いた日記や随筆、あるいは井波の地や人を登場させた時代小説を発表するが、その主たるものは、
 ○「池波正太郎の銀座日記」(初出「銀座百点」昭和58年7月号―60年4月号、同年6月号―63年3月号、
  平成元年1月号―2年4月号)

 ○長編時代小説「秘密」(初出「週刊文春」昭和61年2月6日号―9月11日号)

 ○鬼平犯科帳「ふたり五郎蔵」(初出「オール読物」平成元年7月臨時増刊号)

の3作品であろう。
 そこで、先ず「池波正太郎の銀座日記」(新潮文庫)を御紹介するが、この日記は、銀座百店会のPR小冊子、月刊「銀座百点」に、池波が8年間、72ヶ月にわたり連載し、試写会等の映画、食事、観劇、交友、連載小説の執筆、健康等日常生活について、率直な所感を述べた日記である。従って池波ファンにとって必読の書となっているが、そこに井波関係の記述が10ヶ所も出ているので、以下その原文と備考をお示しする。

[原文]☓月☓日
 (前略) 夜、越中(富山県)井波の岩倉さんが来訪。利賀とが山中で栽培されているワサビを、たくさん持って来てくれる。越中・井波は、私の先祖の故郷だ。私の先祖は、井波で宮大工をしており、天保のころ、江戸へ出て来て浅草に住みついた。そして、父方の祖父の代まで、大工の棟梁とうりょうだったのである。夜食は、さっそくに利賀のワサビをおろし、箱根の「初花」の蕎麦をあげて食べる。(後略) (「池波正太郎の銀座日記」44―45頁、初出「銀座百点」昭和58年11月号)

[備考]最初に「銀座百点」の昭和58年11月号には、☓月☓日が全部で5つあり、[原文]の☓月☓日は前から3番目である。2番目の☓月☓日は浅草のサンバ・カーニバルの日に書かれたので、58年の8月27日(土)である。また4番目の☓月☓日は内容からみて9月の始めであるので、[原文]の☓月☓日はその中間の8月の末日と考えられる。

 次に池波は57年、58年に井波を訪ねたが、今度は逆に58年の8月末の夜、井波歴史民俗資料館の館長で、池波を井波に誘った岩倉節郎氏が池波の大好物の利賀のワサビを沢山持って訪れる。しかしさっするに氏は程なく辞居じきょされ、池波は1人で氏の配意を味わったのではないかと思う。
 次に岩倉氏が8月末に池波を訪ねたのは、同じ8月の5日に小説「美唄びばいの獅子笛」(「渓声山房」井波町)を無事出版できたので、御礼をいう為ではなかったかと思う。というのも氏が小説の後書あとがきで、この本を出版できたのは「時代小説の巨匠である池波正太郎先生との出合であり、暖かい励ましであった。そうして尚、美唄の獅子笛の前書をよせていただいた」と感謝しているからである。一方池波も前書で「岩倉さんや井波の人たちのおかげで、自分に故郷ができたようなおもいがしている。故郷があるということは、まことに心強いものだ。この1巻は、岩倉さんの、いささかもおとろえぬ郷土への情熱によって生れた。失礼だが文章の歯切れもよく、先祖が住み暮した、土地の風土、人情が活写されていて、興味深く読ませていただいた」と氏を褒めている。
 最後に、実話に基づく小説「美唄の獅子笛」の粗筋あらすじは以下の通りである。
 明治17年4月、前年が不作であったので、旧高瀬村・森清(現在南砺市)の地主は神明宮で獅子舞を始めた。8歳の宮浦喜太郎は獅子取りをしたが、次第に名人といわれる様に育ってゆく。しかし28年、地主が米相場に失敗し、夜逃げをする。小作の宮浦家は借金の返済を待って貰ったが、結局北海道移民の許可を取り、30年には小作田等を処分し、借金を返し、挨拶回りをし、5月北海道へ出発した。
 伏木から魚肥ぎょひ運搬船で小樽へ渡り、汽車で石狩国空知郡沼貝村峰延みねのぶへ到着した。仮小屋に住み、予定地に開拓小屋を建てると6月に在住決定があった。以後親子6人は力を合わせ、5町歩の林野を開墾し、赤毛早稲の水田を作り始めるが、大変な重労働である。ある夜喜太郎が友から餞別に貰った獅子笛を吹くと、皆故郷を想い出し、辛苦を忘れるのであった。
 31年の正月、峰延の開拓者が赤木山神社に参拝後、長老宅で懇親会を開いた時である。求めに応じ、喜太郎が獅子笛を吹くと、人々は故郷への哀愁、明日への希望、湧き上がる勇気を感じる。そのお蔭と皆いったが、この年は豊作で、宮浦家も初めて米の収穫があった。明けて32年の正月、懇親会は来年4月には赤木山神社で獅子舞をやろうと決定をする。このため喜太郎は6月から獅子舞を教え始める。また手紙で協力を頼んだ森清の人が動き、井波の人は獅子頭を、福光の人は胴幕・衣装を安く作ってくれることになり、33年の1月、喜太郎は皆の募金13円を持って富山へ行き、それらを持ち帰る。こうして迎えた4月25日、赤木山神社には沢山の人が集り、かたずを呑む。喜太郎の右手が上がり、鋭い掛声と共に手が振り降ろされた。太鼓が鳴る。喜太郎の笛が吹かれる。獅子取りの足が跳ねる。獅子が立ち上がり舞う。人々の歓声と嗚咽おえつが交差する。やがて喜太郎の棒踊りの番が来た。長身が跳ね、そり返る。6尺棒が頭上で唸りを上げて回転する。まさに名人芸である。歓声と拍手で北海道初めての獅子舞が終わると、誰もが全身に、明日からの開拓をする力がたくましく湧き上がるのを感じた。(続く)