第33回『明神の次郎吉』

 中村吉右衛門主演の第7話「明神みょうじんの次郎吉」(フジテレビ)が平成元年8月30日に放映された。脚本は田坂啓、監督は原田雄一、明神の次郎吉はガッツ石松、岸井左馬之助は江守徹、おまさは梶芽衣子、伊三次は三浦浩一であった。これを見た池波は、ガッツ石松が個性を生かし、少しも芝居をせず、次郎吉を好演したと褒めている。池波の原作(文春文庫8巻)の概要と映画の感想は以下の通り。

 梅雨明けのある日の夕暮、信州・小田井おたいの宿場へ町人風の旅の男が入ってきた。旅籠の者がこの先の前田原には追はぎが出るので宿泊を勧めたが、男は江戸の方へ足早に去った。そして前田原にかかると、旅提灯をつけ、種々雑多な草が強く匂う中を大胆にも唄いながら進む。だがすぐに立ち止り、草の中に屈み、眼を光らせた。

 この男は明神の次郎吉という盗賊である。人のうめき声がしたので、追はぎが襲ったのだと考え、その方向に近寄っていく。盗賊のくせに次郎吉は他人の難儀を見過せない。そんな男だから、おつとめでも貧しきからは奪わず、殺さず、犯さずの掟を守っている。此度は親子二代仕えるお頭・櫛山くしやまの武兵衛から至急江戸へくる様連絡があり、故郷の下諏訪から向う途中であるが、困った人を見捨てない。

 次郎吉は草の中に倒れ伏す人影を見付け、抱き起す。それは旅の僧で、しわ深い顔に油汗を浮かせ、両手を胸の左下へ当てて苦しんでいる。心臓発作である。しかし死期の迫まる老僧が最後の頼みを是非聞いてほしいというので、次郎吉は引き受けた。

 その4日後の夕暮、次郎吉は江戸の本所・押上村の春慶寺に寄宿する剣客・岸井左馬之助を訪ね、前田原で亡くなった老僧・宗円に頼まれた形見、藤四郎吉光の短刀を届けた。宗円は七百石の武家の長子であったが、故あって出家し、春慶寺で修業していた時、左馬之助と親交を重ねた月日が忘れられず、伝家の宝刀を贈ったのであった。

 しかし宗円の死を看取り、遺体を背負い、小田井の妙音寺へ運び、供養のお金を置いてとむらいを頼み、形見を届けた人がすぐ帰ろうとするので、岸井は今夜是非お礼をしたいと必死に頼み、引き止めた。

 そして寺で一風呂浴びてもらった後、次郎吉を荷車に乗せて、宗円とよく通った本所二ツ目の軍鶏(しゃも)鍋屋・五鉄へ連れていく。宗円と親しかった亭主・三次郎も感謝を込めて鯉の塩焼や軍鶏の臓物の鍋を出すと、次郎吉は大喜び、たまらない、もったいないを連発した。

 上機嫌の次郎吉と岸井が五鉄を出る際、偶然密偵・おまさが下宿先の五鉄に帰ってきて、次郎吉を一べつするとすぐ身を隠した。8年前、櫛山のお頭の下で一緒にお盗めをしたからである。

 しかし後で三次郎にその人のことを尋ねると、次郎吉が宗円に自分もできない様な善行をしたことを知り、見逃したい気持になってくる。

 そこで四ツ目に住む彦十に相談にいくと、次郎吉が江戸にいるのは、櫛山のお頭が江戸でお盗めをすることなので、2人が明朝春慶寺の次郎吉の後を付けようということになった。

 翌朝次郎吉は大川を渡り、浅草、上野、小石川、四谷を抜けて千駄ヶ谷の百姓家へ入った。彦十はおまさを見張りに残し、昨夜からの一件を平蔵に報告して千駄ヶ谷へ引き返した。
 
 入れ違いに岸井が役宅へきて、昨日の奇特な男の話をし、数日後に3人で五鉄で飲みたい、その後小田井へいき、宗円の墓を立ててやりたいというので、平蔵は寸志を包んだ。

 その日の夕方、おまさがきて、見張りの人数がいる等と報告した後、じっと長官を見つめた。その眼が次郎吉に温かい措置を訴えていると見た平蔵は、俺にまかせておけ、お前の気持を無下に扱ったことは一度もないぜといい、すぐにおまさに、役宅の長屋に住む密偵・伊三次を付けて帰した。
 これを期に平蔵は、改め方の役人を使わず、彦十、おまさ、伊三次、粂八、五郎蔵等の密偵達を総動員して事件に当たることを決心する。

 それから7日後の昼過ぎ、伊三次は九段坂上の御用地で長官と落ち合い、歩きながら、千駄ヶ谷の盗人宿には5人が集まった、その動きからして押し込みは今夜、他所の盗人宿にいる櫛山の頭とどこかで合流し、総勢12、3名がどこかへ押し込むと報告し、平蔵はその日役宅へ戻らなかった。

 この夜11時、千駄ヶ谷の盗賊が1人、2人と出発し、玉川上水べりに集まった。そして東へ進み南寺町から鮫ケ橋谷町一帯にある寺のうち宗清寺という小さな寺で合流し、櫛山一味12名が四谷伝馬町の薬種問屋・橋本屋へ向った。

 一方密偵達も千駄ヶ谷の盗賊を尾行すると同時に、千駄ヶ谷の茶店から平蔵を案内して橋本屋に向う。

 午前1時、櫛山一味が橋本屋へ押し込もうとした瞬間、平蔵が駆け寄り、桜の棍棒でたちまち3名を倒し、組みついてきた次郎吉を当身で気絶させた後名乗りをあげると、櫛山一味はいさぎよく平伏した。同時に南町奉行所の捕方13名が粂八の案内で駆け付け、お縄をかける。2日前に平蔵が南町奉行・池田筑後守にこの事件の担当をお願いしたのであった。

 10日後の朝、旅姿の岸井がきて、あの人がこないが、宗円が待っており、信州へいくという。平蔵は自分がその人に会うといい、餞別を包んだ。  その後で妻・久栄が次郎吉はどうなるのかと尋ねるので、平蔵はあれほどいさぎよい盗賊どもも珍しい、筑後守様によくお願いしたので、島送りで済むに違いない、次郎吉はもっと刑が軽くなろうといった。

 そして、人間とは妙な生きものよ、悪いことをしながら善いことをし、善いことをしながら悪事をはたらく、心を許し合う友をだまして、その心を傷つけまいとするとしみじみという。

 ところで映画では、岸井は約束の日に次郎吉がこないので、翌朝先に信州へ旅立つ。同じ朝平蔵は久栄に次郎吉の減刑の話をした後、「悪いことをしながら善いことをし」と語るところから哀切なエンディング曲が流れ始める。

。  そして久栄が「岸井様は今頃」と尋ね、平蔵が「中仙道をせっせと歩いているだろう。宗円のお墓のある信州小田井へ」と答え、短刀を持って歩む岸井の姿が映り、いつもの江戸の四季風景が映り、曲は終わるが、いつの世も変わらぬ人情の温かさが心に残る。

 次に梶芽衣子は永らく歌舞伎を見て芸の勉強をしてきたが、平成元年、尊敬する中村吉右衛門が鬼平犯科帳の撮影に入ったという記事を見て、どんな役でも出たいと願い手を挙げたところ、密偵・おまさ役をもらった。

 そして第5話「血闘」(文春文庫4巻)に初めて出演し、池波におまさはあれでよいと褒められる。次が今回の映画で、梶は青縞の伊勢木綿を着て、悩みながら櫛山一味逮捕に動くおまさをうまく演じた。

 しかし池波が急性白血病のため程なく亡くなり、彼女は池波に会えなくなってしまった。そんな彼女を、ある日豊子夫人が自宅へ招く。そして江戸っ子は不愛想だから貴女も誤解されるでしょうといわれ、すっかり意気投合する。また主人に会っていただきたかったわとぽつんといわれたという。

 以来彼女は、先生の祥月しょうつき命日と鬼平犯科帳の撮影が始まる前と後に必ずお墓にお参りするとともに何かと夫人のお手伝いをさせてもらいながら、28年間おまさを演じ続けてきた。そして昨年末最後の鬼平犯科帳が終わると、平成24年に亡くなった夫人に、最後までやらせていただきましたと心の中で報告をしたという(参考「オール読物」平成29年9月号)。

 最後に小説によれば、密偵・伊三次は細身の引き締った体がきびきびと動き、一分の隙もなく、困難な時も明るく同心を励ますとあるが、三浦浩一はその通りの伊三次を演じ、150話中45話に出て、ファンを喜ばせた。