第55回「池波正太郎の銀座日記(3)」

 4番目の[原文]と[備考]は、越中・・井波・・大和やまと秀夫氏が池波に里芋を送られたことに関するものである。

 [原文]×月×日
 (前略)夜は越中・井波の大和君が送ってくれた掘り立ての里芋をつかった「けんちん汁」とハマチの刺身。そのあと御飯をやめて、もり蕎麦にする。(後略)(「銀座日記」302頁、「銀座百点」昭和62年1月号)

 [備考]最初にこの×月×日は、内容から見て昭和61年11月中旬であろう。この日、越中・井波の役場の職員である大和秀夫氏から、例年の様に夫婦して作った掘り立ての里芋が送られてきた。その夜、池波はけんちん汁を作ってもらい、1年振りに大好きな郷土の里芋の味を満喫する。
 次に大和氏が初めて池波に里芋を贈られたのは、58年の秋であったという。それまでの間、池波は3度井波を訪ねたが、その都度氏がそのお世話を一生懸命行ってきた。お礼をしたいと思う池波は、一度上京する様に何度も頼むが、当り前のことをしているのに、先生にご迷惑をかけてはならないと考える氏は固辞を続ける。しかし58年の秋、池波の熱意に抗し切れなくなった氏は、上司に相談をし、上京する。その際掘り立ての里芋を新聞紙に包み、お土産にされたが、後日先生が大変喜ばれたことを知り、毎年秋には黙って里芋を送り続けられたという。
 最後にこの夜けんちん汁を満喫した池波は、次の日、書きかけであった新連載の現代小説「原っぱ」(新潮社月刊誌「波」昭和62年1月号-63年2月号)の最初の号の原稿を一気 せいに書き終えた。これは、池波の分身である老劇作家・牧野が、変貌へんぼうする東京で、一生懸命何かをし、人には迷惑をかけず、常に気遣きづかいをしている人達を発見し、幸せを感じる物語である。平成2年に続編が発表され、牧野がパリの居酒屋へ行き、前述の日本人と同じ様な老亭主を発見する。その原文等は越中・井波の話が終了後御紹介したい。

 10ある内の5番目の[原文]と[備考]は、池波の延び延びとなっていた井波訪問に関するものである。

 [原文]×月×日
昨日は、小雨の中をタクシーで井波へ行き、旧知の人びとと交歓した。昼食はなじみの深い料亭「丸与まるよ」にする。利賀とがから届いた山芋入りの蕎麦、せいろむしどぜう・・・のカバ焼もなつかしい。午後3時にタクシーで金沢へ入り、泊る。(後略)(「銀座日記」343頁、「銀座百点」昭和62年7月号)

 [備考]最初にこの日×月×日は、内容から見て昭和62年5月中旬であろう。銀座日記によれば、この日の前々日、池波はA社の人とともに富山県の上市町かみいちまちの料亭・八山はちざんに泊る。この時の料理がウド、たけのこ、ワラビ、つるぎ だけつばめの巣、ホタルイカと列記されているが、これはおいしかったからに違いない。
 次に翌朝、池波は上市町よりタクシーで井波に行くが、多くの人達に歓迎され、とても嬉しかった。そしてなじみ深い料亭・丸与で昼食となったが、先祖の地の料理はどれを食べてもなつかしかった。池波はそれを「味妙」と表現し、いつであったか、色紙に書いて丸与に贈ったといわれる。
 最後に、池波はこの訪問後、週刊文春62年6月25日号の「ル・パスタン」に、井波を最後の地にしてもいいと思っていたが、体力がなく、運転もできず、そうならない様な予感がする、一方変貌する東京も最後の地にならない様な直感が日々強くなると書いた。されど、いつであったか、大和氏から、実は先生は最後まで、できれば井波に住みたいと願っておられたとお聞きし、今もなお嬉しく思っている。

 6番目の[原文]と[備考]は、越中・井波の大和氏が里芋を送られたことに関するものである。

 [原文]×月×日
 (前略)越中・井波の大和君から里芋が送られて来る。井波の里芋はうまい。今夜は、けんちん汁にすることにした。(「銀座日記」385頁、「銀座百点」昭和63年1月号)

 [備考]最初にこの×月×日は、内容から見て昭和62年11月中旬であろう。この日池波の日記には、初めて井波の里芋は旨いと記された。
次に井波(中心・山野地区)の里芋の歴史は、隣の福野(中心・南野尻地区)とともに、享保年間から始まるが、本格的栽培は昭和の初めからである。特に昭和3年、山野村農会が奨励金を出して品種を向上させ、優良品種のみを生産、販売する。これが井波の里芋の評価を高めたとされる。また昭和47年、井波町、福野町、砺波市及び庄川町が秋冬さといもの国の野菜指定産地となる。これが井波等の里芋の生産、出荷を安定させたといわれる。
現在、秋冬さといもの産地は、南砺市、砺波市、滑川なめりかわ市、上市町及び立山町となったが、その味には粘りの強さ、柔らかさまたは甘味があるという特色がある。このため産地の収穫量は近年増加傾向で、平成26年は961トンであった。なお池波が同じ秋冬さといもの産地・上市町から井波へ入ったのは偶然であろうか。(続く)