第56回「池波正太郎の銀座日記(4)」

 7番目の[原文]と[備考]は、越中・・井波・・生まれの髪結かみゆい・五郎蔵ごろぞうが火付盗賊改め方・御用達ごようたしの髪結いとなり、同名の密偵・五郎蔵とともに、改め方に火付けをする凶賊きょうぞくの<くわだてを失敗に終らせるという、鬼平犯科帳「ふたり五郎蔵」の執筆に関するものである。

 [原文]×月×日
 (前略)帰宅したら、「鬼平犯科帳」を久しぶりで書かなくてはならず、気が重い。
 ×月×日
 (前略)久しぶりに鬼平を書くので、旧作の「鬼平犯科帳」を読み返してみる。いずれも、おもしろく
 て止まらなくなる。(後略)
 ×月×日
 (前略)書きかけの「鬼平犯科帳」、久しぶりに長いもので、しかも読切りというので骨が折れる。
 それでも、きょうは机から離れることなく、半分まで漕ぎつけ、先が見えてきた。(中略)夜も鬼平。
 「万惣まんそう」のサクランボを食べつつ書く。(後略)(「銀座日記」449-453頁、「銀座百点」平成元年
 7月号)

 [備考]最初に1番目の×月×日は、内容から見て平成元年の4月下旬であろう。この頃池波はオール
 読物・元年7月臨時増刊号に19ヶ月振りに鬼平を掲載することになる。しかしこの長い休載中に、
 池波は2度もヨーロッパへ旅行し、パリの居酒屋を売り、どこかで妻を介護する親友の老亭主を探し
 出し、支援をしようとしていたので、新作の執筆を承諾したものの、準備の不足を感じ、気が重かっ
 たのだと思う。
  しかし新作のテーマは、今度は井波生まれの人を主人公にして、越中・井波の人情を書くことだ、と
 池波は決めていたに違いない。また池波は、江戸時代、忙しい商家等に出張し、まげを結い、月代さかやき
 をっていた「まわりの髪結い」に興味を持ち、「ル・パスタン」(週刊文春・昭和63年10月号)に
 随筆を書き、その仕事の様子をえがいて挿絵さしえにしたが、これが新作のトップ・シーンの原型になったと
 思う。
  次に2番目の×月×日は、内容から見て5月上旬であろう。池波は新作のテーマとトップ・シーンを
 ほぼ決めていたが、新作のタイトルと重要な登場人物の名前をまだ決めていなかったと見られる。
  このため池波は旧作を読み、その結果、
 ①ただ一人の越中・・生まれの密偵・ 五郎・・が登場する「浅草・御厩おうまや河岸がし」(文春文庫1巻)を参考にして、
  主人公に井波生まれの髪結いを登場させ、名前を五郎・・とする、
 ②密偵の五郎・・ が上信越、越中・・を荒らした凶盗・すねの伊佐蔵の逮捕に手柄をたてた「五月さつきやみ
  (文春文庫14巻)を参考にして、改め方に復讐ふくしゅうを図る弟・くれつぼ 五郎・・を登場させる、
 ③タイトルを「ふたり五郎蔵・・・」とし、2人の五郎蔵・・・が改め方を救う、
 ということを考えながら、執筆を始めたのではないかと思われる。
  最後に3番目の×月×日は、内容から見て5月の中旬であろう。新作の「ふたり五郎蔵」の執筆は、
 原稿用紙で100枚(約47,000字)の長編で、しかも7月号の読切りなので、大変であったが、
 鬼平の中で越中・井波の人情を描きたいという池波の気持は強く、この日、原稿は半分の50枚を超
 える。

 8番目の[原文]と[備考]も、「ふたり五郎蔵」の執筆に関するものである。

 [原文]×月×日
 (前略)きょうは、鬼平犯科帳を引きつづいて書く、ようやく大詰へかかってきた。(後略)
 ×月×日
 (前略)夜ふけに、鬼平を5枚書く。いよいよラストになってきて、机に向うのが、たのしみになって
 きた。(後略)
 ×月×日
 (前略)鬼平犯科帳は100枚のうち、80枚まですすむ。ここまでくれば、すべて頭の中へ出来あがって
 いるから、今夜は、安心をした所為せいか、ぐっすり眠れた。
 ×月×日
 鬼平犯科帳100枚すべて終る。これは、来月、鬼平の特別号が出るためのものだ。ゆえに御愛嬌という
 ことで、挿絵も書くことになってしまった。絵の方がむずかしい。(後略)
 (「銀座日記」455頁-457頁、「銀座百点」平成元年8月号)

 [備考]1番目から3番目の×月×日は5月下旬、4番目は6月上旬であろう。池波は不眠不休の努力をし、
 「ふたり五郎蔵」を遂に書き上げる。

 9番目の[原文]と[備考]もまた「ふたり五郎蔵」に関するものである。

 [原文]×月×日
 (前略)オール読物の「鬼平特別号」ができたので、見本が届けられて来る。よくできた。(後略)
 (「銀座日記」463頁、「銀座百点」平成元年9月号)

 [備考]×月×日は元年の6月29日であろう。なお「ふたり五郎蔵」の越中・井波関係の[原文]等は後で別途
 ご紹介することとする。

 そして最後の[原文]と[備考]は里芋に関するものである。

 [原文]×月×日
 (前略)帰ると、井波(富山県)の大和君から里芋が届いていた。これは大和夫妻が手作りの里芋だ。
 早速、けんちん汁をつくらせた。旨い。東京の里芋とはまったくちがう。(「銀座日記」495頁、
 「銀座百点」平成二年1月号)

 [備考]×月×日は平成元年11月中旬であろう。大和氏はこれで銀座日記に3回登場し、全国の池波ファン
 から今も「里芋の大和さん」と呼ばれ、敬愛されている。(続く)