第35回『女掏摸お富』

 中村吉右衛門主演の第17話「女掏摸お富めんびきおとみ」(フジテレビ)が平成元年12月6日放映された。脚本は安藤日出男、監督は高瀬昌弘、お富は坂口良子であった。池波がこの小説を書いたのは昭和43年であるが、その頃は女主人公がけなげに生きる女性短編小説を盛んに書いていた時期であり(第23回参照)、これもそういう小説であるといっていい内容となっている。小説(文春文庫2巻)の概要と映画の感想は次の通り。

 梅雨が明けたある日、平蔵は老僕を伴い、巣鴨村の大百姓・三沢家を訪ねた。ここは亡母・お園の生家で、当主・仙右衛門は従兄に当たる。久方振りに三沢家の人々と歓談した後、平蔵は老僕・九五郎を帰し、子供の頃共に遊んだ王子権現へ従兄と参詣に出かけた。

 すると参詣人に混じり町家の女房が近づいてきたが、2人共立ち止ってその後姿を見る。そして仙右衛門は、はて巣鴨追分の笠屋の女房と思ったが、妙だな、鼻の頭にほくろがあったという。平蔵は黙っていたが、昨日聞いた話を思い出していた。

 日頃仲良くしている日本橋の御用聞・文治郎が、昨日ご機嫌伺いにやってきて、大伝馬町の茶問屋・長井屋利兵衛が一昨日寄合で明神下の一文字屋へ向かう途中、女が倒れるのを見た、抱き起こすと鼻にほくろのあるその女は礼をいい足早に去った、そして明神下ですられたことに気がついた、また寄合にいた浅草の松坂屋・安蔵も浅草寺でその女にやられていた、そこで利兵衛は寄合の帰り、女すりのことを自分に知らせにきてくれたという話をした。

 これを聞いた平蔵は、これは文治郎の縄張りの事件で、うまくやってくれといった。しかし参道で犯人らしき女を見た以上文治郎のためにも放っておけない。平蔵は三沢家で1泊した後、すぐ笠屋へ向かった。

 加賀笠をくれと平蔵が笠屋へ入ると、土間にいた女房が愛想よく注文の笠を渡してくれた。まさに昨日の女だ。だが鼻の頭にはほくろがない。一方、店を出ようとすると、亭主らしい実直そうな三十男が丁寧に挨拶をしてくれた。そこで近所の茶店で聞くと、亭主は卯吉、女房はお富という。帰途に就いた平蔵、丁度暇だし、何かある勘がするので、文治郎と2人でやってみるかと思い始めた。

 ところで笠屋の女房であるお富は、江戸市中でもそれと知られた掏摸すりの元締・かすみの定五郎の養女であった。それに万人に1人といわれる人差指と中指の持主であったので、小さい頃から養父母の特訓を受けた。

 その結果お富は18歳で掏摸を許され、19歳で一人前になった。しかし22歳の時、前年の養母に続き養父が亡くなると、配下の狐火の虎七という四十男が、お富は捨子であったと皆にばらし、強引に二代目となり、さらにお富にいい寄ってくる。

 このためお富は麻布の家から無断で脱走し、板橋宿で古着屋をしている元掏摸の市兵衛の許へ逃げた。養父母と仲が良かった老人は自分の孫の様に迎えてくれ、これを機会に足を洗う様に勧めてくれた。

 その市兵衛の店の前にみのやという大きな笠屋があった。夜になると7人程いる奉公人がよく市兵衛の家へ遊びにきたが、その中に卯吉がいた。

 お富は初めこの温和な若者に関心がなかったが、約半年店で暮す内に、卯吉の自分へ向ける両眼の輝きの中に、男のひたむきな情熱と真実を汲みとった。少ない小遣いをため、銀のかんざしを買い、挿して下さいと秘かに渡された時、お富の身体は震えた。

 市兵衛もみのやの主人も2人が世帯を持つことに賛成してくれ、お富が貯えを出し、巣鴨追分に小さな笠屋を出したのは去年の秋だった。2人が力を合わせて働き、お店も繁盛し、お富は足を洗って本当に良かったと思う。

 しかし今年の春のある日、お富が店番をしていると、霞一味の岸根の七五三造しめぞうがいきなり入ってきた。そして去年侍にしくじり、右腕を切り落され、廃業する、3ヵ月のうちに百両を餞別として出してくれ、嫌ならお前さんのことを二代目と御亭主にぶちまけるとゆするので、お富はついに負けた。それからお富は掏摸に戻り、2ヵ月余りで80両余りを稼いだのである。

 平蔵が初めてお富を見てから7日経った。この日は卯吉が眠っているうちからお富は外へ出た。早くお金を払って前の生活に戻りたい。これ以上子宝の願掛に行く等といっても卯吉をだませない。この頃の卯吉の表情の底には、爆発寸前のものがある。

 お富は何としても今日中に残る17両をすり盗ると、ほくろを付け根津権現へ向かった。総門から門前町を進み、擦れ違った商家の老主人からすり盗り、空の財布を木立の中へ捨てる。また参道へ戻り、楼門で擦れ違った中年の商人からすり盗り、さらに裏門より入る参詣人の1人からすり盗った。

 お富は裏門を出ると、人気のない所で財布2つを捨て、合わせて20両を懐に、卯吉が待つ家へ急いで帰ってゆく。だがその犯行は平蔵と文治郎によってしっかりと目撃されていた。

 それから8日後七五三造との約束の日がきた。折よく卯吉がみのやへ出掛けたので、お富は隣の人に留守を頼み、行人塚の林に入り、先に七五三造から百両受領の証文を取り、現金を渡した。男が喜び、これっきりにすると約束して去ると、お富は安堵の余り、その場でしばし屈みこんでいた。

 他方七五三造は巣鴨原町へきたところで、尾行してきた平蔵と文治郎に捕縄され、秘かに役宅へ連行された。そして平蔵が厳しく取調べた結果、夜明け前にお富のことから二代目の居場所、一味の掏摸全員の名前や居所まですべてを白状する。そんな男に平蔵は、自分が設立した幕府の公共職業訓練所である石川島の人足寄場に入り、そこで左手1つでもできる仕事を身につけ、また娑婆へ戻るのだと優しく更生を促すのであった。

 その後平蔵は居間へ戻り、文治郎を呼んで、あとはお前の手柄にしろ、ただし七五三造とお富はおれにまかせてくれと取引をした。

 二代目・霞の定五郎他一味の掏摸14名が逮捕されたのは、その日の夜から翌日の朝にかけてである。町奉行所が出役しゅつやくし、文治郎がその先導を務め、大手柄をたてた。

 それから10日程経って、文治郎がお礼にきた時、笠屋の女房はあれ以来夫婦仲もよく、家業に励んでいるというので、平蔵はもう見張りはいるまいと述べた。しかし更に10日程経った日、平蔵が市中巡回で市ヶ谷八幡の境内へ入ると、お富が拝殿から正面石段の方へ歩んでいくので驚く。

 一方お富は石段を下りながら、みんな終わったのにここにいる自分が分からない。一昨日から家事をしても右手の指がひくひくと動く。今日はその動きを抑えきれず、卯吉にことわりもせず、着のみ着のまま家を飛び出してしまい、気がつけば市ヶ谷であった。

 石段を下りると、お富は総門からくる老年の立派な身なりの男からすり盗り、更にもう1人からもすり盗ったが、総門を出て浄るり坂を上る時には、快感も消えて、後悔にさいなまれた。それで駕籠に乗り、巣鴨で降りると、百姓地の肥だめを見つけ、惜し気もなくお金を捨てた。

 そして家路の途中、市ヶ谷から尾行してきた平蔵が編笠を脱いで、名乗りをあげ、お前の心が悪いのではなく、その指が悪いのだ、見逃しやろうと思ったが、今日の様なことでは臭い飯を食べてもらおうというので、お富はがっくりとして地に膝をつく。

 しかしお前の亭主には、おれからうまく話しておく、お前の指が死に、お前が世間へ戻ってくるまで、卯吉はきっと待ってくれるだろうと温かくいうとお富は泣き伏した。

 ところで映画では、町奉行所ではなく、火付盗賊改め方がこの事件を担当し、解決をする。改め方の長官は先手組(さきてぐみ・戦時には先陣を務める軍隊)のかしらが兼務し、部下の与力・同心を率いて江戸市中や近在を巡回し、火付、盗賊、博奕(ばくち)を取締り、犯人を逮捕し、裁判を行ったが、町奉行所との間でしばしば権限争いが起きたといわれる。

 しかし映画では、密偵彦十が長井屋から女掏摸の話を聞いたことから事件が始まり、改め方が凶暴な狐火の虎七一味を34名(小説では15名)も逮捕することで事件が終わるので、町奉行所も異論がない事件となっている。

 また映画では、お富がすり盗ったお金を巣鴨の林の川へ捨てた時、市ヶ谷からつけてきた平蔵が姿を現わし、見逃してやろうと思ったが、今日の様なことがあれば、どうにもなるめえと述べる。お富が屈みこみ、両手を前に出しお縄を頂戴する姿勢を取り終えると、平蔵の小刀が一閃いっせんし、お富の右手の人差と中指の根元を薄く切る。

 ここからエンディング曲が流れ、平蔵はお前が悪いんじゃない、2本の指が悪いんだ、だが二度と悪事に使えねえといって血止めの手拭を渡す。

 そして掏摸でも10両以上盗めば死罪となるのに、お富、かんざしにこの上悲しい想いをさせるなよといって立ち去る。お富が大きな涙を流して見送る平蔵の後姿に、小説にはない、「それからしばらくして笠屋の夫婦に玉の様な子が生まれたと風の便りに平蔵は聞いた」というナレーションが流れ、感動が込み上げてくる。