第36回『浅草・御厩河岸 (その弐)』

 中村吉右衛門主演の第18話「浅草・御厩河岸おうまやがし」(フジテレビ)が平成元年12月13日放映された。松吉は本田博太郎、お梶は浅利香津代が演じた。池波はこの原作を昭和42年、「オール読物」の12月号に発表したが、これが鬼平犯科帳の記念すべき第1作である。読んでみると、一つ一つの短編の連作が捕物帳ではなく、鬼平の人生を描く長編になる内容となっている。またモラルを守る盗賊、盗賊を救う役人、盗賊を捕える元盗賊と、捕物帳にはいない人達が短編を彩る内容となっている。原作(文春文庫1巻)の概要と映画の感想は次の通り。
 
 浅草・三好町の河岸は、昔は幕府の馬屋があり、御厩河岸と呼ばれるが、今は対岸の本所と結ぶ渡船場があり、そこに面した町角に豆岩という小さな居酒屋があった。
 
 主人は岩五郎といい、35歳位の小男だが、昼は豆岩の横のよしず張りの店でわらじや大福を売る等をし、夜は女房を助けて豆岩で働く。
 
 女房はお勝といい、41歳の浅黒いやせ形の女だが、豆岩をてきぱきと切り回し働く。元は品川の宿場女郎であったが、岩五郎に身受けされた。男の連れ子がいたが、紙問屋に丁稚奉公にあがり、お勝の母親は盲目だが、岩五郎との間にできた女の子の世話や岩五郎の店の留守番をする。
 
 寛政元年の夏のある日。岩五郎の店へ乞食坊主が現われ、水を所望した。そして水だけでなくお布施まで貰うと、岩五郎の人相を見て、あなたは長生きをする、おかみさんが福を持ってきたから、ただし今の生活の元になっていることに背いてはいけないと告げ、いつの間にか夕闇に消えていった。

 その夜岩五郎がお勝にそれを話そうとした時、戸締りをした店の戸を叩く者がいる。岩五郎がその者と外で立ち話をして戻ると、お勝、明日は差し売りに出るといった。

 岩五郎は3日に1度銭差し(銭の穴に細い縄を通し、一束にしたもの)を火消役屋敷から仕入れ、商家に売っている。翌日差し売りに出た岩五郎は、午後浅草の浄念寺で、昨夜きた寺男で、かつての盗賊仲間・彦蔵と会う。

 彦蔵は1か月前にも差し売りをしているのを見たが、堅気になってないのなら、いいおつとめがあるので乗らないかと誘うので、岩五郎が乗ると答えると、お頭(かしら)に会わせるため下目黒村の雑木林の中の古いが、すっきりとしてあかぬけした邸宅へ案内した。
 
 ところで岩五郎は盗賊の子であった。父・卯三郎は越中・伏木ふしきの生まれで、女房・おまきとの間に岩五郎をもうけると、妻子を高岡の町に住ませ、自分は売薬で諸国を廻った。だがその頃実は上方一帯を縄張りとする盗賊・中尾の治兵衛の配下となっていた。

 おまきはそれを知らず、岩五郎が8歳の時病没した。これを機に卯三郎は岩五郎を連れて上京し、おまきが貯めた70両で盗賊として独立した。だが人を殺さない等の掟を守る真の盗賊になるには元手が少なく、売薬の得意先であった線香問屋へ息子を丁稚奉公に出し、上方へ去った。

 岩五郎は身寄りが全くいない江戸に残され、いつしか問屋の人から無口、陰気、反抗的、強情等と嫌われる様になり、7年後の16歳の時、集金のお金を持って問屋を去る。そして品川宿の香具師に拾われ、お勝とめぐり会った。お勝は姉でもあり、母でもあり、そして恋人でもあった。
 
 だがその翌年、品川宿で岩五郎は上方で失敗した卯三郎と出会ってしまう。普通なら子を捨てた父親を許さないのだが、岩五郎は高岡の町で、父親が帰ると、新子泥鰌しんこどじょうといって小指位の泥鰌と細く切ったごぼうを大鍋に入れて味噌味の汁を作ってくれ、親子3人ですすった想い出が忘れられない。2人は結局うらみをかけた問屋へ押込み、140両を盗んだのであった。
 
 さてそんな岩五郎を迎えたのは、50がらみの色白で、ふくよかで、優しそうな海老坂の与兵衛であった。海老坂は卯三郎、岩五郎と同じ越中の人で、最盛期には80余名の配下をあやつり、諸国で盗みばたらきを行うとともに、盗む者も泣きを見ず、盗まれる者も泣きを見ずを理想とし、貧しきは奪わず、殺さず、犯さずを貫き、一方配下に余生を送る十分な、お金を与える大盗賊であった。
 
 その大盗賊から本式に依頼され、岩五郎は承諾した。海老坂は大変喜んだが、実は自分の老後の資金が十分でなく、3年前から本郷の醤油・酢問屋・柳屋に配下の者を飯たきとして奉公させ、また按摩として出入りさせ、最後のお盗めをせんとしていた。
 
 しかし配下の者が9名しか集まらず、特に錠前外しの者が死亡し、いないという問題があった。そこへ上方で折紙付きの錠前外し・岩五郎の参加が決ったので、早速海老坂は柳屋の屋内屋外の図面や錠前の図を見せ、錠前のことを呉々も頼み、帰りには卯三郎へ10両を包み、お盗めは秋風の吹く頃と教えてくれた。
 
 その夜岩五郎は海老坂の風格を想い出し、眠れなかった。お勝は心配をしたが、夫が1日で元に戻り、苦労をしつくした2人の生活は小ゆるぎもしなかった。
 
 寛政元年の秋のある日、差し売りに出た岩五郎は御先手組の佐嶋忠介与力と本所の雑木林で会った。佐嶋与力は組頭の堀帯刀が火付盗賊改め方長官をした時、甲州まで出張って大盗・いすかの喜左衛門一味を逮捕したが、その中に中風の卯三郎と岩五郎がいた。
 
 岩五郎は非道の盗賊が激増する現状を憂い、改め方に協力する様説く佐嶋与力に心を打たれ、「いぬ」となった。これに応えて佐嶋与力は卯三郎を下谷の長屋に住まわせ、介護する小女(こおんな)も付けてくれ、また岩五郎がお勝と今の様な商売をするのを支援してくれた。
 
 そんな佐嶋与力がいうのは、今の長谷川平蔵長官に頼まれ、また改め方の筆頭与力を務める、今日より急用ある時は店の軒先にこの菅笠をつるせ、海老坂の与兵衛が江戸にいるので、気をつけてくれということだった。
 
 一方海老坂の指揮の下にお盗めの計画は着々と進められた。岩五郎も錠前を外す道具をあつらえ、計画に熱中し、海老坂に褒められ、盗賊の血が沸き返える様な思いをしていた。
 
 しかし岩五郎は佐嶋与力から海老坂が江戸にいるといわれてから、夢が醒める様な気がした。そうなると乞食坊主がいった今の暮しの元に背くなという予言も気になり出した。
 
 2日程後の朝、思い切って岩五郎は店の軒先に菅笠をつるした。するとすぐ彦蔵が顔を見せ、すぐに下目黒へという。既に決行は9月7日の夜と決っており、下目黒へ急ぐと、海老坂は日がのびましたという。何と柳屋に飯たきとして入った善太郎が中風で倒れたとのことである。そして代りの手下を入れるには1年位かかるので、そのつもりで待って下さい、と海老坂は少しもあわてずいった。

 岩五郎がふらふらと帰ってきて、店の軒先を見ると、菅笠がかけたままになっている。決行が延期であれば、何も急いでと思った途端、佐嶋与力が現われ、岩五郎はその後を歩くより道がなかった。
 
 岩五郎の密告により火付盗賊改め方・長谷川平蔵は、海老坂一味15名の内彦蔵を含む9名を逮捕した。その翌朝岩五郎一家の者が卯三郎を含め夜逃げした。その夜清水門外の役宅で佐嶋与力が岩五郎の逮捕を伺うと、平蔵は捨ておけ、今までよく働いてくれた褒美だ、生まれ故郷の越中を目指したのだろうといった。
 
 また平蔵の剣術友達・岸井左馬之助も、乞食坊主になって店に行った時、岩五郎は親切にしてくれた、それで長命の相がある等といったという。
 
 平蔵は盃を取り上げながら、岩五郎が中風の父親と盲目の義母と女房と娘と好きな泥鰌汁をすするような身の上になってくれることだなといった。
 
 ところで記念すべき第1作には越中の盗賊が3人も登場する。かつて調べてみたが、これを発表した年、昭和42年の8月、池波は能登から高岡へ旅行をしている。その際、伏木ふしき、海老坂、新子泥鰌、売薬業、菅笠等高岡の地名や特産を知り、第1作に使ったと思われる。また池波は父方の先祖が天保の頃江戸へ出た越中・井波(いなみ)の宮大工と家人に聞かされ、越中に特別の想いを抱いていたが、これも第1作に影響を与えていると思われる。

 次に映画では岩五郎、お勝夫婦に代って、越中の元盗賊で狗である飾り職・松吉、元品川女郎で盲目の母や娘がおらず、同居する卯三郎を介護し、松吉に尽くすお梶の夫婦が登場する。

 映画の後半、お梶は卯三郎から松吉が海老坂のために鍵を作っていると聞き、深夜最後の仕上げをする松吉をたしなめる。だが松吉が今度だけは目をつぶってくれと頼むので、何があっても一生あんたについてゆきますと答える。

 翌朝海老坂に鍵を届ける松吉を送り出したお梶は軒先に菅笠をつるし、平蔵に会うと、身内より訴え出た場合刑が軽くなると聞きます、どうか松吉をお召し捕り下さいと直訴した。

 一方松吉は海老坂に会って鍵を出すと、お盗めは延期といわれ、驚く。さらに鍵の代金まで戴いて恐縮していると、改め方の急襲が始まった。しかし海老坂の配慮で一人だけ秘密の地下道を通って逃げることができた。

 翌朝松吉夫婦は卯三郎を大八車に乗せて越中に向って逃げたが、平蔵は追わなかった。最後の場面は山道で、松吉がこの先は登りだ、お梶頼むぜと元気よくいうと、車の後ろを押すお梶はあいよと明るい声で応えた。

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