新鬼平随想録

第57回「秘密と越中・井波(1)」

 本誌8月号で御紹介した様に、池波の書いた長編時代小説「秘密」(初出、週刊文春昭和61年2月6日号―9月12日号)は、主人公・片桐そう しゅんが越中・井波へ移り住む物語である。今月号からは、先ずその粗筋あらすじをお読みいただいた後、越中・井波関係の原文とその備考をお読みいただきたいと思う。
 [粗筋]片桐宗春は京の町医者の息子ながら剣術に励む内に、丹波たんば篠山ささやま藩の京屋敷の藩士に気に入られ、養子となったが、7年前、家老の長男と些細ささいなことで争い、正式の果し合いで彼を斬る。だが家老が正式と認めず、ために宗春は逃亡し、家老の次男に敵討かたきうちされる身となり、2年前から父の弟子・滑川なめかわ勝庵を頼り、千住に隠れ住む。
 幸い医術の心得もある宗春は、勝庵が紹介してくれる患者を往診して生計を立てていたが、ある日、見知らぬ3人が自分に似た医者と間違えたのか、襲ってきたので、すぐ江戸を去り、逃亡の旅に出る。
 3年後、宗春は千住へ戻り、往診を再開し、有名な袋物屋の老主人・吉野屋清五郎に喜ばれる。だが京で交際をしていた、兄が篠山藩士のお初が後妻に入っているため、宗春はすぐ往診をやめ、向島で百姓をする、滑川家の元・下男の福松の家に姿を隠す。そしてある日、近所の料亭・大むらの女中が福松の野菜を買いにくる。それがなんと3年前まで仲良くしていたが、火事で亡くなった筈のおたみであった。
 おたみと再会した宗春は明るくなり、大むらから娘の診察を頼まれると、すぐ往診を開始して治療を行い、大変感謝される。またお初よりも病人のことを考え、吉野屋の往診も再開し、吉野屋から先生に最後まで看病してほしいと頼まれる。
 ある日、宗春が父の形見の煙管きせるを使っていると、吉野屋から、それは深川の彦造の作だといわれる。そこで彦造に会い、父のことを聞いたところ、父は深川で医者をし、妻との間に男の子をもうけ、幸せに暮していたが、妻が急逝したため、やむなく長男を千住の医者・萩原景南の養子に出し、京へ帰ったという。さらに宗春は千住の萩原家を探し、近所の人に尋ねたところ、安い料金で診療してくれる萩原こう せつという、異母兄と思われる医者が住んでいることも分かった。
 父や兄のことが分かった宗春は、逃げ隠れせず、医者として生きようと決心し、髪型を茶筅ちゃせんに変え、恩師の脇差を差し、笠もかぶらず、往診に出かける。すると、町医者姿をした宗春を探し廻る江戸屋敷の藩士のお初の兄と木村と出会うが、全く気づかれない。
 そんな宗春は吉野屋を最後まで看病し、大むらの娘を完治することを目途に全力を上げるが、娘の完治はできたものの、吉野屋の最後は早まる。ある日吉野屋は、御用達の篠山藩で何があったのか、お初の心は淀んでいる、後継ぎは養子にした若い番頭にすると打ち明け、数日後宗春に遺書を託し、安らかに息を引き取る。
 その日、宗春は隠れ家に帰ると、旅仕度を始める。これからおたみと越中・井波へ行き、父の友人の医者の後継ぎになり、医者として生きたいと決めたからである。翌朝、宗春は向島の福松の家へ行き、大むらのおたみを呼んでもらい、明日夕方まで身仕度をして隠れ家に来てほしい、一緒に越中・井波へ行くというと、おたみはうれしいと答えるのであった。
 翌日、木村は上野界隈で坊主頭の町医者・萩原孝節を発見する。宗春だと思った木村が追跡し、自宅へ入るのを見届けると、家老の次男に急報する。次男は助太刀の児玉と木村をひきい駕籠で千住へ向かう。少し遅れてお初の兄も藩士2人を連れて駕籠で後を追う。
 他方宗春も兄に一目会うため千住大橋を渡っていたが、次男達3人は既に孝節の家の前に到着し、折から降り出した雨の中、傘をさして外出する孝節を兄のかたきと叫んで斬ってしまう。そこへ到着した宗春が逆に兄の敵といって襲ってくる。近所の人達も孝節先生を殺したのは奴らだと投石を始めたので、3人はひるみ、引き上げる。
 隠れ家に帰った宗春は、3人が引き上げたが、藩は自分を暗殺するであろう、またお初も明日吉野屋の本葬に出る兄に、この隠れ家等を教える恐れがある、一刻も早くおたみと共に井波へ向かわなければならないと考え、おたみの待つ勝庵宅へ行く。そして勝庵にその決意を伝えると、勝庵も賛同し、近い内に一度井波に行くといって励ましてくれた。翌日の早朝、宗春とおたみは千住大橋の途中で、勝庵にもう一度一礼し、井波に向かって歩き始めた。
 以上が粗筋であるが、紙数が尽きたので、井波関係の5つの原文と備考は次号よりご紹介致したい。(続く)