第60回「秘密と越中・井波(4)」

  長編時代小説「秘密」(文春文庫)の、越中・井波関係の、4番目の原文と備考の続きをお読みいただきたい。

 [原文の4](前略)
「道を歩いて行くと、軒をつらねた木彫り師の家から、のみの音が絶え間なく聞えてくる。人の情がこまやかで、……井波は、そのような、よいところなのです」(後略)(「秘密」文春文庫337頁)

 [備考の4]最初に原文の「人の情がこまやかで、井波は、そのような、よいところ」という宗春の説明は、池波が昭和56年に初めて井波を訪れて書いた「随筆」の中にある、二つの文章をもとに書かれたものである。
 一つは、浅草の老舗しにせ・駒形どぜうの子女に生まれ、井波の旧家に嫁がれた老婦人に、同じ浅草生まれの池波が会い、井波はいかがですかと尋ねると、老婦人が「ほんとうに、よいところでございますよ。こんなに人情の深いところはございません。朝なんか、道を通る小学生が、私などにも朝のあいさつをしてくれますの」(「私が生まれた日」朝日文庫157頁)と答えたという文章である。
 もう一つは、それから二日後の朝、旅荘の2階から通学中の小学生の男の子を見ていると、「その子は帽子をとって挨拶をするではないか。見も知らぬ旅人の私にである。一昨日の老婦人の言葉が、いまさらながらおもい起された」(「私が生まれた日」朝日文庫160頁)という文章である。
 次に池波はこの様な人情のこまやかな先祖の地・井波が大好きになり、その後何度も井波を訪ね、人々と親しむ。その一人で最も親しかった大和やまと秀夫氏は、最期まで先生は井波に住みたいと願っておられたという。そうだとすれば、「秘密」は、池波がみずから片桐宗春になって、夢を実現させた小説なのかも知れない。

 [原文の5](前略)
 片桐宗春は、井波へ立ち寄ると、町医者・久志本くしもと 長順ちょうじゅんの家へ滞留する。この人と亡父・宗玄とは、若き日、親しかったそうな。そのこともあって久志本長順は、宗春の身の上のこともわきまえていてくれ、
「何、此処ここまでは追っても来ないし、来ても、われらが必ず、おぬしを守り通してみせる。(中略)おもいきって、この井波へ住みついては……わしは妻子のない老人ゆえ、おぬしがわしの跡をつぎ、井波の人びとの病気を診てやってくれれば、何よりうれしい。よくよく考えてみてくれぬか」(後略)(「秘密」文春文庫337頁)

 [備考の5]勝庵は久志本長順の「われらが必ず、おぬしを守り通してみせる」という言葉に打たれ、宗春の井波行に賛同する。しかし明朝までの間に襲われる恐れもあり、三人は用心をして語りあかすことになる。

  最後に、少々長いが、5番目の原文と備考をお読みいただきたい。

 [原文](前略)
「若先生。三年ほどのうちに、私の方から白石を連れて、一度、井波へまいりますよ」(中略)
「それは、うれしい。その日を、いまからたのしみにしています」
 のむうち、語るうちに、夜明けが近づいてきた。(中略)
宗春が奥の部屋へ行くと、おたみは、ぐっすりと眠っている。
「おい、これ……おたみ」(中略)
「は、はい」
「よく眠れたか?」
「あい。夢も見ませんでした」
「何よりだ。さ、起きて仕度を……」
「ほんとうに、先生と旅に出られるのですねえ」
「そうだ」
「まるで、夢のような……」
 おたみの顔に、生き生きと血の色がのぼってきた。(中略)
 片桐宗春とおたみは、勝庵宅を出た。(中略)二人より先に、白石又市が出て、あたりの様子をうかがいつつ、田圃たんぼ道をえらんで千住へ向った。
 二人と共に、見送りの勝庵が歩む。(中略)三人が千住大橋の南詰めへ出ると、白石又市が待っていた。(中略)
「勝庵どのと共に、井波へおいで下さい。ぜひとも……」
「はい。必ず」
 早朝のこととて、長さ六十六けんの千住大橋には、人影を見なかった。(中略)橋の上の中央近くまで来たとき、宗春が勝庵と白石に、
「さらばでござる」
「若先生。おしあわせに」
 白石は、無言で頭を下げた。
 宗春とおたみは、大橋を北詰めに向って歩む。その途中で、二人は振り返り、勝庵と白石へ一礼した。(後略)(「秘密」文春文庫339頁-341頁)

 [備考]荒川から大川にかけての川面かわもに、もやがたちこめている。その上にかかる橋を共に渡り、新天地へ向かう二人。その姿が徐々に遠ざかっていく。そんな情景が眼に浮ぶ結末である。(続く)