第11回『密告』

 昔、鬼平から恩を受けた女性が盗賊に身を落とすが、その恩を返して死んでゆく『密告』(文春文庫11巻)は、人の情けの美しさを感じる物語である。

 「今夜、深川・仙台堀の鎌倉屋へ盗賊が入る」との密告文を読んだ鬼平は、犯行中の兇盗・伏屋の紋蔵一味を捕縛した。翌日調べると、密告者は片足の不自由な女性であったそうで、また、密偵の彦十が「紋蔵は横山小平次に似ている」と言ったことから、鬼平はその女性がお百でないかと思う。

 昔、鬼平が本所・深川で放蕩無頼の生活をしていたとき、深川の茶店にお百という少女が働いていた。継母に嫌われているところが似ていて、鬼平は同情していたが、御家人で美男子の横山小平次という不良がお百を誘惑し、妊娠すると石段から突き落とすなどの暴行を加えた。茶店の主人から相談を受けた鬼平は、横山をこらしめ、23両の慰謝料を取ってやり、これに鬼平の餞別5両を加えた28両を持参金として、郷里・上総で後妻に入る話がまとまった。お百は生まれたばかりの紋蔵を抱いて、不自由な足で深川を去って行ったと、鬼平は後で知らされた。

 しかし、結局お百は、本格の盗賊・笹子の長兵衛の女房になってしまう。そして笹子の死後、紋蔵は堅気にもならず、しだいに畜生ばたらきをするようになったので、お百も共に追われて江戸へ来たのであった。

 鬼平は、密告で危なくなったお百を何としても救いたいと紋蔵に強く訴えたところ、心打たれた紋蔵は、一人逃げた手下が母を殺すかもしれないと思い、その居場所を教える。だが、お百は見張りの手下を毒殺して密告した後、逃亡してきた手下と相討ちで死んでおり、その傍らには、鬼平がお金を出して彦十が買って与えた餞別のさんご玉のかんざしが転がっていた。以下に本文を引く。

 お百は盗賊の仲間に身を落しても、あのときの本所のてつ:鬼平の温情を一日たりとも忘れなかったとみえる。(略)平蔵が治安を守る江戸府内において、畜生ばたらきを我子にさせることだけはなんとしても「やめさせたかったのであろう」と平蔵はいった。お百もおもい悩んだに相違ない。そうしてついに我子を「売った……」のである。(略)

 紋蔵が市中引き回しのうえ死刑となる前夜、鬼平は軍鶏しゃも鍋、熱い酒とめし、みかん3個を与えた。食事が済んだ頃、牢内に現れた鬼平が、あのさんご玉のかんざしを紋蔵の手に渡し、「明日はこのかんざしを抱いて行け」と言うと、紋蔵は素直に「はい」と答えるのであった。

 なお、鬼平はお百に同情していたが、さして親身になったわけではない。お百が深川を去るときも、他所で遊んでいたくらいである。作者は「恩は着せるものではなく、着るものだ」(『男のリズム』中公文庫)といっているが、お百はあの時まさに恩を着たのであり、だからこそ、命にかえて恩を返したのである。それに対して鬼平もまた、考えてみれば立派に恩を返したのである。

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