第21回『むかしの男』
『むかしの男』(文春文庫3巻)は鬼平の妻久栄が盗賊一味を撃退する話であるが、これも一種の女性物である。
久栄が17歳の時であった。隣家の旗本近藤勘四郎に捨てられ、久栄の父が隣家の鬼平に嘆いていると、鬼平が「よろしければ、私がいただきましょう」といってくれた。翌年の新婚初夜に久栄が両手をついて「このような女でもよろしいのですか」というと、「このようなとはどのような女なのだ」「あの、私のことを」「聞いたが、忘れた」「ま」「久栄」「はい」「お前はいい女だ」という会話があって、久栄は鬼平に抱かれた。
それから23年後事件が起きた。久栄は二男二女の母であったが、七つ程若く見え、ふっくらとし、さばけているが、威厳があった。ある日雑司が谷鬼子母神の茶店の老婆が、あの時人を殺して金銭を奪い、遊女と逐電した近藤からの手紙を持ってきた。夫が上洛中でもあり、久栄は独断で翌朝一人護国寺の茶店に出かけ、近藤の部屋の外で話しを聞くが、とりとめのない話で、すぐ帰ると、あの老婆が「奥様が襲われた」と留守宅を混乱させ、幼い養女お順をさらっていた。
だが久栄は密かに下男に近藤を尾行させていたので、夜になって隠れ家が判明する。鬼平の部下の佐島等が急襲してお順を救出し、近藤や老婆等を逮捕した。これは兇盗霧の七郎が弟の復讐のため、一味の近藤等を使ってお順と久栄を殺害する計画であった。
京より戻った鬼平が「それにしても、むかしの男にきついまねをしたものだ」というと、久栄はきっぱりと「女は男次第にござります」と答えるのであった。
ところでこの作品は昭和44年に出たが、この頃池波は先述した『女の血』、『三河屋お長』、『平松屋おみつ』等女の強さを描いた短編を発表しており、これもその一種である。
また池波は、この作品等の鬼平夫婦で次のような昔の夫婦を再現したかったのだと思う。
「鬼平の時代、侍あるいは町人でも自分の女房に対して敬意を持っていた。逆に女房も夫に対して敬意を持っていた。鬼平の場合、見回りに出てくるといって出たら、何が起こるかわからない。常に死を意識して生きている。だから毎日、これが一期の別れになるかも知れないという気持なので、当然双方の愛情もこまやかになってくるのである」(『新・私の歳月』講談社文庫)。
鬼平 「久栄。おもいきってきらいな卵酒でも飲んでみるか、精をつけるために、な」
久栄 「まあ」 (『妖盗葵小僧』2巻)
鬼平 「もっともこの頃は久しくお前を抱かぬ。さてこの前はいつであったか」
久栄 「おやめあそばせ」 (『大川の隠居』6巻)
鬼平 「たまさかには、俺の寝間でやすめ」
久栄 「まあ、おたわむれを」
鬼平 「何を驚く。おかしな奥方様じゃ」 (『盗賊婚礼』7巻)
鬼平 「久栄。わしにこのような精をつけさせて何とする」
久栄 「まあ」 (『火つけ船頭』16巻)
鬼平 「どうじゃ。一緒に風呂へ入らぬか」
久栄 「よいかげんになさいませ」 (『鬼火』17巻)