第1回『浅草・御厩河岸』

 池波正太郎が初めて長谷川平蔵のことを書いた小説は、昭和39年の『江戸怪盗記』(週刊新潮1月6日号)であった。

 寛政3年、商家を襲い、婦女子を犯し、大金を奪う葵小僧一味が跳梁したが、火付盗賊改め方長官長谷川平蔵が巡回中犯行後の葵小僧を見付け、十手で脳天をなぐりつけ、逮捕した。

 ただし池波はまだ長谷川を「鬼平」と書いていないし、「密偵」も登場していない。

 二度目の小説は、翌40年の『看板』(小説新潮夏季特別号)であった。これに後の『鬼平犯科帳』に出る本格の盗賊が守るべき3ヵ条(原文のまま)、

   1.盗まれて難儀するものへは、手を出すまじきこと。
   2.つとめをするとき、人を殺害せぬこと。
   3.女を手ごめにせぬこと。

 が初めて書かれ、これを守る盗賊夜兎の角右衛門が登場する。

 寛政元年、その夜兎は町で女乞食が拾った大金を落とし主に返すのを見て感心し、料理屋で鰻をご馳走するが、女の右腕が無いのは、7年前商家へ盗みに入った時、部下が3ヵ条を守らなかった所為と知り、また女が念願の鰻を食べて満足し、翌日自殺したことも知り、長谷川に自首する。しかし夜兎は処刑されず、以後盗賊の情報を長谷川に知らせる役を務める。

 そして、三度目の小説が42年の『浅草・御厩河岸おうまやがし』(オール読物12月号・『鬼平犯科帳』第1巻文春文庫)である。これが大好評を博したため、翌年の新年号から『鬼平犯科帳』シリーズが始まり、その第1話が『唖の十蔵』となったので、この浅草が今では第4話とされているが、実質的には第1話といっていいと思う。

 そんな「第1話」が越中にまつわる物語であることは実に興味深いことである。

 先ず越中生まれの盗賊が3人も出てくる。1人目の卯三郎は越中伏木の生まれで3ヵ条を守る本格の盗賊であったが、今は中風で寝たきりとなり、息子岩五郎の世話になっている。2人目の岩五郎は高岡で生まれ育ったが、結局父と一緒に働く盗賊となった。だが火付盗賊改め方の与力・佐嶋に父とともに逮捕され、その「手先」「いぬ」となっている。3人目の海老坂の与兵衛は高岡の海老坂生まれの3ヵ条を守る本格の大盗賊で、先の二人をよく知る。

 寛政元年、居酒屋をしている岩五郎は海老坂に今度の「おつとめ」で錠前はずしを頼まれ、承知する。その日が近づくにつれ、海老坂に次第に心服する岩五郎も意を決し、佐嶋に密告するため連絡を取るが、その直後海老坂は「おつとめ」の無期延期を告げる。岩五郎は今更連絡を取り消すこともできず、結局佐嶋に密告し、海老坂が逮捕された夜、一家をあげて夜逃げをする。

 もう一つは、長谷川が一家を追って、処分しようとする部下を押しとどめ、「岩五郎が越中のどこかの町で、中風の父親と盲目の義母と、女房と子と、安穏に好きなどじょう汁をすすってくれるような身の上になってくれることだな」というのである。

 池波は「第1話」を発表する直前の昭和42年8月に能登から自動車で高岡を訪ねているが、その際、海老坂や伏木の地名を知り、また高岡で小指ほどの泥鰻を鍋にして食べておいしく思い、これらを小説に生かしたのだと思う。そうしたのは、随筆『越中・井波』(小説現代昭和57年3月号)によれば、池波の先祖は天保の頃江戸へ移った私の故郷、越中・井波の宮大工であり、早くから越中の地や人に特別の感情を抱いていたからである。