第8回『あきれた奴』

 第52話『あきれた奴』(『オール読物』昭和47年4月号。文春文庫8巻)によれば、平蔵は部下を信じきることができる人であった。

 その日は非番で、妻子の命日であったので、同心・小柳安五郎は梅雨の中を浅草・竜源寺へ墓参に出かけた。

 一昨年の冬、妻子が難産で亡くなったが、小柳は盗賊逮捕のため死に目に会えなかった。悲しかった。それを忘れるように小柳は住居を役宅の長屋に変え、昼夜の別なく職務に励み、率先して盗賊達と闘ってきた。

 墓参を終えると妻の実家に寄り、夜半辞去して雨上りの両国橋を渡っていく時である。前方に身投げせんとする人影を見て、とっさに傘を投げると、それが当たり、人影は橋の上に倒れた。それは子を背負った母であった。すぐ軍鶏しゃも鍋屋なべや五鉄ごてつの二階に下宿する密偵・おまさの許へ連れていき、保護を頼んだが、小柳は母と子の命を命日に救ったことが何かの因縁のように思えた。

 翌日の夜、おまさに会うと、あれは旦那が捕縄した鹿留しかどめの又八の女房・子供といわれて驚く。10日前の夜、谷中・正林寺に盗賊が二人入り、寺僧二人を殺害、百五十八両を強奪する事件があった。巡回中の小柳が一人逮捕したが、それが鹿留であった。しかし寺僧を殺し、盗金全額を持ち、その間に逃げてしまった男のことを、鹿留はどんなに責められても一言もしゃべらない。

 ところがおまさは、女房・おたかから貴重な情報を引き出していた。11年前、16でおたかは数珠師じゅずしの父を亡くし、天涯孤独となったが、仏具屋・伊勢屋が助けてくれ、下女奉公をしてきた。一方5年前に六軒町で数珠師を始めた又八はとても実直そうなので、伊勢屋が二人の縁談を進めると、双方とも異存がなく、翌年二人は夫婦となった。相性が良いのであろう、夫婦仲の良さは界隈でも評判となっている。

 しかし10日前に夫が外出して4晩も帰らず、心配をしていると、清五郎という老人が訪ずれ、夫が正林寺へ盗みに入り、盗賊改めに捕まったといわれた。さらに夫の自分への手紙を見せられ、そこには、これには訳があって、嫌々したことだ、もしも命があったときは、1、2年で帰るので子を育てて待っていてくれ、たのむ、たのむと書かれ、十両が添えられていた。

 なお上の清五郎とは、人を殺さない等の三ヶ条を守る本格派の盗賊で、同じ本格派の鹿留と組んで、昔お盗つとめをした者である。これには訳があってとは、清五郎が鹿留に、病弱な自分の代りに甥・紋三郎とお盗めをしてくれと頼むので、嫌であるが、清五郎には義理があり、引き受けたことを意味する。おたかはいずれも分からなかったが、後で寺僧が殺されたことを知り、絶望して夫の作った数珠を手に掛け、身投げを図ったのである。

 これを聞いた小柳は、2、3日、この話を内密にしてほしいとおまさに頼むと、急ぎ改め方に戻り、牢内の鹿留と会う。そして、身投げをしようとしたお前の女房・子供を助けた、俺の一存だが、女房・子供に会わせてやる、そしてここへ戻る、その代り相棒の居所を教えろ、あんな人殺しを放っておけないといった。これに対し鹿留は、桁外れの話だか、小柳を信用して乗ってみることにした。

 それから小柳は牢番に当身をくらわせ、その着物を鹿留に着せて外へ出た。雨が強くなり、両国橋のおたかが身を投げようとした辺りにきた時、鹿留は小柳に突如頭突をし、大川へ飛び込み、逃亡してしまった。

 一方改め方では平蔵が小柳に追手も出さず、部内の者に口止めをしたが、小柳が帰ってくると、鹿留のいた牢に入れ、一同に小柳と会うことを禁じた。しかし筆頭与力・佐嶋が小柳をどう思われるかと尋ねた時、平蔵は、小柳は鹿留の人柄をよく見極めている、鹿留を外へ放つことを自分の一存でやった、失敗したら死ぬ覚悟だ、恐ろしい奴になった、それもあの相棒を野放しにできないと考えているからだと答えた。

 こうして半年も経った12月28日、小さな荷車を引いた鹿留が改め方へ戻ってきた。白洲に座った鹿留は、平蔵に荷車の棺桶の中身を聞かれたので、桶を降して倒すと、血と汗にまみれた相棒・紋三郎が転がり出た。その上で鹿留は平蔵に訴えた。「長い間ご迷惑をおかけし、済みませんでした。小柳の旦那に罪はございません。旦那はどこにおいでです。会わせて下さい。ご無事なお顔をみるまで私も死ぬに死ねません」

 鹿留は大川に飛び込んだ後、清五郎の所へ行くと、清五郎は甥を探しに江戸を離れていた。そこで御油ごゆへ行き、飴売りをしながら半年間待ち、紋三郎が好きな女の所に現われたのを殴り倒し、棺桶へ入れ、猿ぐつわをはめ、東海道を下ってきたのであった。

 小柳は通常の勤務に戻ったが、何故罰せられないかという声も出たので、平蔵は誰が小柳の真似をしてもよい、しかし失敗した時は腹を切る覚悟でやれと、こともなげにいった。

 そして紋三郎は死罪、鹿留は7年の遠島となった。心掛け次第では短縮されるので、おたかは伊勢屋で働き、子供とともに夫の帰りを待っており、小柳が時折励ましに行く。

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