第39回『引き込み女』

中村吉右衛門主演の第24話「引き込み女」(フジテレビ)が平成2年2月7日放送され、お元は高沢順子が演じた。この頃池波は、毎日のように体重が減っていくのが心細い、今夜は2度も書斎の中で転倒し、腰を打った、しかし毎日少しずつ鬼平の原稿(未完の135話「誘拐」の原稿。文春文庫24巻)を書き進めている、と「銀座日記」に綴っている。小説「引き込み女」(文春文庫19巻)の概要と映画の感想は次の通り。

半月前である。南八丁掘で煮売り酒屋・信濃屋を営む元盗賊・桑原の喜十が、築地鉄砲洲で磯部の万吉を見たと、密偵の五郎蔵に知らせてきた。万吉は腕ききの1人働きの盗賊で、よく諸方の盗賊一味の手伝いをしているので、近く江戸で押し込みをやるに違いない。そう思った五郎蔵は、万吉を見知っている密偵・おまさ、粂八と共に、秘かに築地界隈を探索し始めた。

今日もおまさが小間物を詰めた箱を背負う行商姿になり、築地から万年橋へ向かうと、橋の上に川面を見つめる女が1人いる。以前おまさと共に盗賊・乙畑おつばたの源八の許で引き込み女を務めていたお元であった。

おまさが橋のたもとから少し離れた川岸に箱を降ろし、一休みする形で監視すると、お元は髪や着物からして大店の女中の姿をしており、万吉達の盗賊を引き込んで事件を起こす恐れがあり、見逃すことはできない。

一方引き込み役が人通りの多い橋の上で放心状態でいることは有りえない。昔は苦労を共にし、心を許し合った友なので、お元に会い、話を聞いてやりたい。仮に万吉と同じつとめをしていても、お元だけは逃がしてやりたいという気持も湧いてくる。

しかしこの場合、お元達がおまさを密偵と知っている危険もあるので、結局尾行をすると、お元は南鍋町(現・銀座5丁目)の袋物問屋・菱屋彦兵衛方の通用門から中へ入った。やはり引き込みをしている、とためいきをして、おまさは夫・五郎蔵が待つ信濃屋へ向かった。

夜になって役宅へ来た五郎蔵とおまさから報告を受けた平蔵は、佐嶋筆頭与力に菱屋に対する今夜の監視と明日からの見張所の設置を早速命じた。

その後平蔵はお元のことを更に聞き、お元のことは2人にまかせるという。それはおまさがお元に声をかけてもよいし、場合によればお元を見逃してもよいという意味であり、心を許した友を自分に売った密偵の気持を配慮した平蔵の指示であった。2人は声もなくひれ伏した。

翌朝、佐嶋与力は菱屋の近辺を物色し、通用口の前の鍚師仁左衛門の2階を見張所にし、そこには金子与力を頭に松永・小柳・沢田の同心達、粂八・五郎蔵・おまさ・彦十の密偵達、計8名が詰め、菱屋の見張りが始まった。しかし半月経ってもお元は外出しない。また五郎蔵、粂八が兼務で探す万吉も現われず、緊張がゆるんできた。

ところが次の日の昼過ぎ、お元が通用門から出てくる。すぐ金子与力の許しを得ておまさが彦十を連れて尾行すると、お元は池ノ端の化粧品店・浪花屋へ入る。菱屋の内儀の買物らしい。それが済むと、不忍池の東岸の茶店に入り、1時間経っても出てこない。

こうなったら、ぶつかってみる、といっておまさは例の行商姿で中に入り、甘酒を注文すると、奥の縁台のお元が気が付いた。お元は再会を喜び、今大滝の五郎蔵親分のところにいるといっても少しも疑わない。2人が1時間位話をした後、お元は駕籠で菱屋へ帰り、彦十はそれを知らせに見張所へ駆け、おまさは役宅へ急いだ。

平蔵はおまさから、

    1.お元は盗賊・駒止こまどめの喜太郎の女である
    2.連絡役は菱屋主人夫婦に気に入られているあんまである
    3.お元は既に金蔵の錠前のろう型を取り、あんまに渡している
    4.お元は明日、私に会って何かを打ちあける

という報告を受け、佐嶋与力を見張所にさしむけ、

    1.明日はお元が外出しても尾行をせず
    2.あんまを探れ

という指令を与えた。

翌日、あんまは弓町(現・銀座2丁目)に住む豊の市と分かり、早速見張所が設けられた。また昨日と同じ茶店でお元と会ったおまさが夕方帰ってきて、お元は菱屋の主人と恋仲になり、世帯を持とうといわれて迷っていると、平蔵に次の様に報告をした。

菱屋の主人・彦兵衛は小さな袋物屋の次男に生まれ、温和な人であったので、5年前菱屋の聟養子に迎えられた。しかし、先代は隠居しても家業を譲らず、家付娘のお延も気位が高く、夫の世話もせず、遊び回っている。

一方お元は豊の市の紹介で、1年前に菱屋へ奉公に上がった。先代夫婦、彦兵衛夫婦共に気に入られ、奥向きの用事を一手に引き受けているが、彦兵衛に同情をし、それとなく面倒をみていると、彦兵衛も人目を盗み、小遣いやかんざしをくれる様になる。両親に早く死に別れ、悪の道へ入ったお元は、こうした男の愛情の表現を一度も味わったことがなかったという。

だからこの正月、彦兵衛が風邪を引き、お元が看病している内に、2人は結ばれる。そして彦兵衛は男らしく、私は何もかも捨てる、一緒に逃げてくれと頼むので、嬉しかった。無論お元は断ったが、彦兵衛は決意が固く、秘かにお金も準備し、2人は明後日の昼過ぎに別々に菱屋を出て、箱崎の舟宿で落ち合うことになった。

しかし駒止一味が同じ日の夜半に押し込むので、もしお元が共に逃げ、通用門が開かないと、駒止一味は草の根を分けても裏切者を探し出し、殺すに違いない。どうすればいいと聞かれても、おまさは密偵ゆえに、分からないとしかいえなかった。

押し込みの日の前日となった。佐嶋与力は2つの見張所に出張でばり、指揮を取り、豊の市の家に来る者を尾行させ、深川と田町の盗人宿をつきとめ、夜には包囲網を敷くことに成功した。

一方お元は彦兵衛に頼み、逃げる日を明日ではなく、明後日にしてもらうとともに豊の市には、明日予定の押し込みに手ぬかりはないとお頭に伝えて下さいと答えた。

そして当日。平蔵は菱屋近くの堀田備中守の中屋敷に10名を率いて入り、盗人宿と箱崎の舟宿を見張る人員も配置した。しかし菱屋の見張所の五郎蔵の報告によれば、彦兵衛とお元は夕方になっても外へ出ない。平蔵は押し込みは今夜と直感し、諸方に指令を飛ばした。

午後9時過ぎ、五郎蔵が来て、お元が1人で外出し、どこかへ向かっている、おまさと彦十が尾行していると報告した。お元は彦兵衛と逃げることを諦め、また引き込みも放棄し、1人で逃げることにした。この場合、用心深い駒止は押し込みを諦めるかも知れない。そうなれば、あの人は巻き込まれない、死ぬのは私だけでよいと思ったのである。

午前1時、駒止一味16名は菱屋の通用口に音もなく集まったが、合図をしても戸が開かない。そこへ平蔵と改め方27名が取り囲み、乱闘も長くは続かず、一味は逮捕された。ただ例の万吉には屋根伝いに逃げられた。

ところでお元は途中で簡単な旅仕度を整え、千住大橋を渡り、姿を消した。尾行したおまさと彦十は、お元が江戸を離れるようなれば、適当な所で見逃してやれという長官の指令通りにしたのであった。しかしおまさは、お元の胸の内が手に取る様に分かってきたので、かわいそうなことをした、お金を渡してやりたかったと涙ぐみながら彦十にいった。

駒止一味の処刑も終った翌年の梅雨の最中、三原橋あたりの川面に女の死体が浮いた。お元であった。知らせを聞いた平蔵は役宅に引き取り、お元は五郎蔵・おまさ夫婦の手でほうむられた。悲しむおまさに平蔵は、お元は彦兵衛を忘れられず、危ない江戸へ舞い戻ったのであろう、あわれな女だ、殺したのは万吉だろうと忌々いまいましげに述べた。

以上であるが、お元が1人逃げる場面は、映画では、おまさが1人で尾行し、お元を千住大橋で呼び止め、自分で決めた道をまっすぐ進むのだよと励ます。そこへお元とおまさを疑う万吉が現われ、2人を殺そうとするが、おまさを尾行してきた沢田同心が万吉を斬り、引き返していった。

そして、最後の場面は、映画では、おまさが役宅の庭に土下座し、お元を逃がしてしまい、どんなお裁きもお受けしますと平蔵に謝罪する。平蔵は不機嫌な顔をして縁側を立ち、酒井をはじめ同心達によくお礼をしろよと捨てぜりふを残して去る。それを聞いた瞬間、平蔵が内緒で見張所の同心達に、お元が逃げる場合にはおまさも含め、身の安全を図ってやれという指令を出していたのだと直感し、おまさは眼にみるみる内に涙を溜め、平蔵に頭を下げる。その時の梶芽衣子演ずるおまさの表情が真に迫り、かつ美しい。