第40回『流星(上)』

 中村吉右衛門主演の第26話「流星りゅうせい」(フジテレビ)が平成2年2月21日放映され、船頭・友五郎は犬塚いぬづかひろしが好演した。池波は、今夜は「鬼平犯科帳」の第1シリーズの最終回「流星」を見た、鬼平の「大川の隠居」と「流星」を1つにしたものだが、脚本よろしく少しもだれなかったと「銀座日記」で褒めている。長編の「流星」(文春文庫8巻)の概要と映画の感想は次の通り。

 大坂は心斎橋・北詰きたづめやま家屋がや・仙右衛門という、もぐさ問屋がある。梅雨明けのある日の昼前、京から来た浪人・沖源蔵と枚方ひらかたから来た浪人・杉浦要次郎が、主人の居間に通され、仙右衛門を待っていた。程なく、上方の大盗賊で、生駒いこまの仙右衛門と呼ばれる、黄色の帷子かたびらを着た白髪の老人が入ってきた。

 生駒は、両先生には江戸へ行ってもらおう、1人半金25両、次第によっては1人総額百両を出す、相手は改め方と鬼平、出城でじろを作ろうとしたが、皆やられた、今度は関東の鹿山の市之助と組んで大仕掛けなおつとめをする、加えて憎い憎い改め方の鼻をあかすといって計画を話し出した。

 それから1ヶ月後の7月始め、江戸で異変が起きる。改め方の同心・原田一之助の妻・きよが四谷・坂町の御先手組屋敷の長屋を出て、近くの菓子屋・加賀屋で夫の好きな饅頭を買って帰る途中、れ違いざまに浪人に斬られた。

 その翌日、更に改め方の同心・三浦助右衛門の次男で16の又三郎が剣術道場の帰り、内藤新宿の細道で、何者かに一太刀で殺された。

 平蔵はすぐさま配下の与力・同心に家族の外出を禁止し、四谷の組屋敷の内外を厳しく警備させた。幕閣もこの事態を重視し、若年寄・京極備前守が平蔵を呼び、このままでは改め方は本来のお役目を果せなくなる、警備は同じ屋敷に住む別の弓組の頭・山本伊予守の配下に任せることとするという措置を講じてくれた。

 しかしその日の夜、浅草の味噌問屋・佐野倉と本郷の扇問屋・太田屋に盗賊が同時に押し込み、皆殺しにして、どれ位か分らぬ程金品を奪い去ったのである。すぐ改め方は長官を先頭に密偵に至るまで総動員で、昼も夜もなく、汗みずくになって探索を続けたが、何の手掛りも得られない。

 ところで日本橋川からのり堀にかかる思案しあんばしのたもとに舟宿・加賀屋がある。そこへ中年の商人風の男が来て、船頭・友五郎の船に乗りたいというので、内儀おかみは2階の小座敷で友五郎の帰りを待たせた。

 船頭・友五郎は浜崎の友蔵と名乗り、川越の盗賊・飯富いいとみの勘八の右腕であったが、お頭の死後足を洗い、若い頃川越船頭をした腕を生かし、加賀屋で働く様になった。しかしいたずら心が出て、ある夜役宅へ忍び込み、高名な鬼平から愛用の銀煙管きせるを盗んで喜んでいたが、すぐ見破られてしまい、以後平蔵に心酔する様になる。

 その友五郎が加賀屋へ帰り、2階へ行くと、お客は飯富一味にいた藪原やぶはらの伊助であった。伊助を乗せ、橋場はしばあしの中に舟を止めると、伊助は飯富一味にいた鹿山の市之助お頭のお盗めを手伝ってほしいと頼む。友五郎は断わったが、誘拐した本所の紙問屋・越前屋の手代・庄太郎の命はないと脅された。庄太郎は友五郎が仮親かりおやとなって育てた、亡きお頭の隠し子である。伊助は明日午後4時に橋場の料亭・井筒で待つので、色よい返事を聞かせてほしいといって、岸へ上った。

 その翌々日、密偵・粂八くめはちは手掛りがないので、飯富一味で仕えた友五郎を訪ねた。しかし加賀屋の内儀は、友五郎が一昨夜訪ねてきた越前屋の番頭に、子供の庄太郎が店のお金を持って行方不明になったと聞くと、探しに出た切り帰ってこないという。そこで粂八が越前屋の周辺で聞き込みをすると、そのお金がわずか2両なので不思議に思い、長官に報告をした。

 平蔵は即座にそれは誘拐されたのだと断じた後、仮親の友五郎が川越と江戸を結ぶ新河岸しんがしがわの船頭を長らくしていたことを確かめた上で、飯富は友五郎の船頭としての腕を買ったのかと尋ねた。粂八はその通りで、お盗めの前後には随分と舟を使ったと答えた。久し振りに平蔵は顔をほころばせて、翌日粂八と手下の弁吉を川越へ派遣し、一帯を探索させることとした。

 その夜山本伊予守の配下、同心・木下与平治が組屋敷の外を1人で見廻っていたが、一太刀で斬り殺された。この報告を受け、平蔵は商家を襲う兇賊を警戒したが、相手はこちらの出方を見通した様に現われなかった。

 一方江戸へ潜入した沖源蔵と杉浦要次郎は、豊島郡そめ井村いむらの植木屋・植半の小屋で、今度ばかりは平蔵も手も足も出ぬ様だと話していた。原田一之助の妻・きよと三浦助右衛門の次男・又二郎を暗殺したのは沖、木下与兵治を暗殺したのは杉浦であった。

 さらに杉浦が平蔵を仕止めたいと息巻いたが、沖はお頭のねらいは他の者を殺して平蔵を苦しめ、そのすきに盗み働きをやり、大坂から来た生駒一味18名が無事お金を持って帰り、平蔵の鼻をあかすことだとなだめた。

 そこへ植半の息子が生駒一味の津村の喜平を案内してきた。植半の主人も息子も職人も皆鹿山一味の者である。生駒一味と鹿山一味の提携は、女賊・掻堀かいぼりのおけいの仲介で去年の夏成立したが、間もなく掻堀は改め方に捕えられ、死刑となった。また江戸進出を準備した生駒一味の甚蔵と勝太郎も原田一之助に捕えられた。さらに改め方の報告を受けて大坂町奉行所の監視が厳しくなり、生駒は平蔵に挑戦することとなったのである。津村から両先生にもう一暴ひとあばれしてほしいという生駒の意向が伝えられた。(続く)