第41回『流星(下)』

 ところで川越に着いた密偵・粂八と手下の弁吉は、平蔵の知人の医師・藤田伯安の家で寝泊りし、毎日変装して一帯を探索し始めた。そして最後に的を絞ったのは、新河岸しんがしがわの起点から南へ半里の福岡村の外れにある、村人も寄り付かぬ廃寺であった。
 粂八はこの寺を見渡す新河岸川の対岸の榎の下にむしろを敷き、食糧を弁吉と交替でととのえに行き、蚊や虫に刺されながら草蔭から見張りを続けた。
 すると3日目の夕方、昔、飯富一味がおつとめでよく使ったがんぶねが1そう、上流から近付いてきた。そして若い2人の船頭が荒れ寺の岸辺に舟を寄せると、とまの中から行方不明の友五郎と飯富一味にいた藪原の伊助が現われ、舟はすっと寺の床下へ消えていった。粂八はすぐ様長官宛の手紙を書き、急ぎこれを長谷川様にお届けし、お返事を貰い、帰ってこいと弁吉に命じた。
 だがその夜江戸でまたもや異変が起きる。改め方の門番・為右衛門が、京極備前守様よりの御使者と思って潜り戸を開けた瞬間、一太刀で殺された。その2時間後、巣鴨の本明寺へ盗賊が押し込み、30余名を惨殺し、金品を盗み逃走した。
 弁吉が到着したのはその翌日の早朝であった。平蔵は粂八の手紙を見るや酒井同心、密偵・伊三次、弁吉を川越へ先発させ、次に与力・同心達に友五郎と藪原の伊助発見の報告をし、次いで、密偵・彦十とおまさに本明寺の事件を探る様命じ、最後に与力・同心達にこれから川越へ出張でばるが、不眠不休で見廻りと探索を続けることを指示し、独り馬を飛ばし川越へ急行する。
 しかし平蔵が馬を休ませるため巣鴨の庚申塚で下馬した時である。近くの茶店で聞き込みをする彦十を見掛け、そこへ向う平蔵を、沖源蔵と杉浦要次郎がじっと視ていた。2人は板橋宿で遊んで帰る途中であったが、江戸で盗み見した平蔵が1人でいるので、沖もやるかとつばへ左の指を掛けた。
 彦十と別れた平蔵が板橋宿に入り、川越街道に通じる人影のない畑道に出た時、突然左手の土手の蔭から現われた沖が、小川を飛び越え、大刀を振りかざし、馬上の平蔵に接近し、横なぐりにその左足へ切りつけた。
 これに対し平蔵は、沖の姿を見るやあぶみから左足を外し、その足を沖のやいばよりも上に跳ね上げつつ、仰向けから横向きに姿勢を変え、馬の右側に落ちていった。沖はしまったといい、平蔵を襲わんとするが、左腹を傷つけられ、暴れる馬に邪魔をされる。
 この間に平蔵は片膝を立て、鯉口を切るが、右側の木蔭から走り出た杉浦が首を横なぎに切り払う。頭を低くしてかわした平蔵は、愛刀を抜き、二の太刀を打ち払って立ち上った。
 その時、馬から離れた沖が襲ってきた。平蔵が左手で小刀を抜き投げつけると、沖はかわした途端片足を小川へ滑べらす。走り寄った平蔵は掬い上げる様に胸元からあごへ一撃を与えた。
 そして再び対峙たいじした杉浦はなかなか攻めてこない。一瞬、隙を見せると、必殺の一刀を叩き込んできたので、平蔵は飛び違い様に胴を払った。
 死闘を制した平蔵が駕籠に乗り、川越へ着いたのは、翌日の夜明けであった。板橋の宿役人を呼び、2人の浪人を収容させ、佐嶋与力と山田同心を呼んで取り調べをさせる様に依頼した後、彦十とおまさに浪人のいた隠れ家を突き止め、仲間を逮捕するよう指示して、川越へ向ったのである。
 藤田邸へ入った平蔵は、弁吉から雁舟が合計で3艘荒れ寺の縁の下に入り、浪人共が集まっていると報告を受けた後、風呂へ入り、熟睡をした。
 午後2時頃迎えにきた伊三次の案内で、平蔵は浪人姿で福岡村の榎の下の見張所へ着き、酒井達とともに第一線に立つ。そこへ江戸から山田同心が到着し、杉浦浪人が染井の植木屋にいたという者がおり、昨夜20名で打ち込み、主人他5名を捕えると、全員鹿山一味であった、誘拐された庄太郎を物置で発見した、植木屋に佐嶋与力以下7名が隠れ、知らずにくる者を逮捕する、浪人2人は死亡したと報告した。これを受け平蔵は、荒れ寺に隠した舟は江戸で盗んだ金品と盗賊共を逃がすためのもので、こちらも至急小舟を1艘用意せよと粂八に命じた。
 翌日の午前10時、今度は木村同心が見張所に到着し、昨夜植木屋で逮捕した男が大坂の生駒一味の津村の喜平であっと報告したので、平蔵は、すぐ江戸へ帰り、植木屋と津村に双方の盗人宿を吐かせようと強く命じた。
 また酒井同心には、これから書く手紙を持って川越藩の奉行所へ駆けつけ、捕方とりかたを出してもらい、荒れ寺を遠巻きにし、出入りの盗賊を捕えよ、伊佐次を連れていけ、川向うは任かすと命じ、奉行所が30余名を出し、荒れ寺を包囲したのは、夕暮れであった。
 雨が降り出した時、荒れ寺から人の叫び声が聞こえてきた。平蔵と粂八が見張所を飛び出し、小舟に飛び乗ると、弁吉は新河岸川へ漕ぎ出した。すると寺から逃げる7人の盗賊が乗った雁舟が川筋へ出てくる。平蔵は舟をぶつけさせると大刀を抜き、その舟に飛び込んでいった。
 川越の捕物で平蔵達が討ち取り又は捕えた盗賊は18名に及んだ。そのきっかけは植木屋の手入れを知って寺へ逃げてきた生駒と鹿山の配下・6人が、川越藩の捕方と斬り合いを始め、これを知った寺の中の鹿山一味が逃げ出したのであった。なお鹿山の市之助や友五郎は捕えられた。
 一方江戸では改め方が植木屋で張り込み3名、自白により下谷と押上村の盗人宿を手入れし、7名を逮捕するとともに、2つの盗人宿で3ヶ所から盗んだ2,150余両、その他種々の盗品を発見し、押収した。
 更に平蔵はすぐ山田同心を大坂奉行所へ急行させた。町奉行所は心斎橋の生駒の仙右衛門宅を包囲するが、一足違いで逃亡を許した。しかし探索の手をゆるめず、翌年の夏、潜伏先の摂津の村で逮捕に成功したという。
 こうして事件が収まり、平蔵は明日伝馬町の牢へ送られる友五郎を、夕刻庭先へ呼んだ。そして越前屋の主人にはうまくいって庄太郎がまた働ける様にした、死罪にならぬが、島流しは覚悟しておけ、ただし牢では何かと金がろうといって25両の封金を渡した。丁度その時、桔梗ききょういろに暮れなずむ空に星が1つ流れ行く。平蔵は、とっつあん、達者でいろよととなえる様にいい、居間へ入り、障子を閉めた。
 以上であるが、小説と映画でいくつか違うところがある。
 先ず板橋で馬上の平蔵が2人の浪人に襲われる場面は、映画では逆に沖が1人、馬子の引く馬に乗り、歩く平蔵を襲うことに変っている。なお平蔵は激闘の末、沖を捕え、染井の植木屋を白状させ、捜査の進展を図る。
 また平蔵が逃げる盗賊の舟へ乗り込む場面は、お互に舟を中州に乗り上げ、闘うことに変っている。そこで平蔵は鹿山の市之助と盗賊1人を斬った後、妻を殺された同心を励まし、犯人・杉浦に向わせ、敵討がたきうちをさせる。
 更に平蔵が役宅で流星を見て願い事をする場面は、右の中州に変っている。妻敵討が成就した後、平蔵は1人残った船頭の友五郎に、お前の腕なら逃げられたものを、中州へ乗り上げたのは何故だいと優しく尋ねると、友五郎は無言で涙をこらえる。この時夜空に星が1つ流れるが、平蔵は何を願ったのであろうか。
 最後に池波の銀座日記(新潮文庫)は、この「流星」を見た後、「ベットに入り、いま、いちばん食べたいものを考える。考えてもおもい浮ばない」で終わる。急性白血病が進行したためで、池波は平成2年3月、三井記念病院に入院するが、残念ながら5月3日に亡くなった。
 しかし池波が考えた映画「鬼平犯科帳」(フジテレビ)はその後も延々と続き、平成の御代の人々に今も愛されている。(続く)