第43回『盗法秘伝』

 池波正太郎は亡くなる直前であったが、「オール読物」(平成元年7月臨時増刊号)に、「鬼平犯科帳」の
135話の中で、自分が気に入っている話は次の5話であると書き残した。
 「盗法秘伝」(昭和44年発表)
 「山吹屋お勝」(同44年発表)
 「大川の隠居」(同46年発表)
 「本門寺暮雪」(同47年発表)
 「瓶割かめわり小僧」(同55年発表)
 池波はその理由を明らかにしなかったが、この5話は彼が関心を持つ江戸時代の人情を書いた会心の作ではないかと思われる。今回はその第1作の「盗法秘伝」(文春文庫3巻)を取り上げ、概要や感想を書いてみる。
 ある日平蔵は突然火付盗賊改め方長官を解任された。しかしこれは老中・松平定信が長年にわたり休暇もとらず、命がけの任務を続けてきた平蔵と部下達をしばし休養させたいとする措置であった。この機会に平蔵は、京都町奉行に赴任した父・宣雄が1年余りで客死かくしし、葬られた京のお寺に墓参する事を願い出て許可された。
 数日後の朝、平蔵は留守を妻と長男・辰蔵に頼み、自らは旅を行く剣客か、浪人といった風体ふうていをして、見送りをさけ、目白台の私邸を独り出発した。ただし既に前日先発した同心・木村忠吾が行先の宿々しゅくしゅくで平蔵と落ち合い、また先発する形で同行する。
 8日目に平蔵は駿河国の難所・宇津うつの峠を越えた後、山道をかなり下った所でかすかに悲鳴の様なものを聞いた。だが空耳そらみみと思い、又下って行くと、左の斜面の林道から人が出てくるので、素早く斜面に身を寄せた。
 見るからに無頼共ぶらいどもらしい男3人が縛り上げた傷だらけの若い男女をののしり、小突きながら山道を下っていく。平蔵は縄尻を掴んでいる2人に後ろから忍び寄り、はね飛ばすと同時に左手で抜いた小刀で縄を切り落し、猛然と反撃してくる2人を当身で倒した。
 そして残る頭目格に迫り、訳を聞くと、男女は遠州・見付みつけの酒問屋・升屋市五郎方の奉公人だが、主人のお金を盗み、駆け落ちをしたので、頼まれて捕えたという。確認をすると、わずか2両ではあるが、男が盗んだ事を認めるので、無頼共に再び引かれていくのを平蔵も見送らざるをえない。
 その時林道から背が高く、顔の長い老人が現われ、浪人さん、拝見しておりましたが、よくおやんなさったと話かけてきた。そして、わたしの名は善八といい、この辺りで商売をしているが、升屋市五郎という男は悪い奴で、奉公人に食べる物もろくに与えず、こき使う、あの2人も我慢できず飛び出したのだ、しかしいくらか持っていないと逃げられない、2両を手に入れるのに随分苦労しただろうと盛んに2人に同情をした。
 その日平蔵は岡部の宿の旅籠・島やで旅装をといたが、善八も勝手に島やで泊る。風呂場へ入った平蔵へ、浪人さん、夕飯をご一緒に如何でと湯煙の中から声がかかった。いいだろうと答えると、どちらへ行きなさると聞くので、当てはないという。名前も聞かれたが、同心の名前を拝借して、木村平蔵だと告げて、風呂を出た。
 間もなく平蔵は善八の部屋に呼ばれ、御馳走になり、退席しようとするや、先程当てがないとおっしゃったが、ひとつ、わしの商売を手伝ってくれませんかという。どんな商売かと聞くと、石川五右衛門のまね事というので、平蔵は俄然がぜん興味を覚えた。
 そこで平蔵がいろいろ質問すると、わしは独り働きの盗賊だ、宇津谷峠で無頼共をやっつけたお前さんに惚れ込んだ、わしの盗み働きの秘伝をお前さんに伝えたい、しかしその前にお前さんという人を見極めたい、手始めに他人を苦しめ、あこぎな真似をして世を渡る奴共のお金を頂戴する、見付の升屋市五郎は、まだ悪いくせが直らないので、升屋へ忍び込む、それに無頼共は山の中でひどい暴行を加えていた、わしにもう少し力があったら、お前さんが出る前に飛び出していたと善八は答えた。
 岡部を発した翌々日の夕暮、平蔵と善八は見付の旅籠・なべ屋へ入った。木村同心は見付の旅籠・大江戸屋に泊り、平蔵を待っている筈であった。この夜善八は升屋の平面図を広げて見せ、5年前に127両頂戴したが、今回は違うやり方でやる、平さんといって平蔵と細かく打合せをした。
 翌日の午後、わしが午後2時までに戻らなかったら、平さんは打合せ通りにしてほしいといって善八は升屋へ向った。そして酒の入った角樽を抱え、代金を払った善八はのんびりと茶を飲みながら店の者と世間話をしていたが、午後2時頃ようやく腰をあげ、土間を歩いて北側の戸口へ向い、薄暗い、醸造場へ入り、見えなくなった。
 真夜中がきた時、平蔵がなべ屋の裏から出て升屋の北側の戸口に立つと、ぴたりと内側から戸が開く。善八が平蔵を連れて内蔵へ行き、細い火箸と元結もとゆいを巧みに使い、外と内の錠前を難なく外し、欲張っちゃだめだよ、平さんといいながら、千両箱でなく、5、6百両入った金箱を選ぶ。平蔵がそれをかつぎ上げるや善八はしゃがみ込み、升屋の蔵をうんと汚してやるんだといって、あることを始め出した。
 蔵の外へ出ると、善八は若い2人が物置に別々にぶちこまれ、縛られて、ろくに食べていないので、逃してやろうといい、間もなく救い出してきた。そして善八は2人に対し、秋葉山あきばさんの麓の茶店・つたやへ行き、この手紙を渡せば、かくまってくれる、わしも2、3日後に追いつき、その時2人の身の振り方を考えてあげようといってお金を与え、逃してやった。
 その後善八と平蔵は何くわぬ顔でなべ屋へ戻り、翌朝暗いうちに出発し、東海道を上って行った。升屋がこの盗難と逃走に気が付いたのは昼過ぎであった。また木村同心は見付で遊びながら待っていたが、長官が到着しないので段々と不安になってきた。
 善八は浜松の手前で林に入り、昨夜の盗金を隠しに行くので、平蔵のふところに巻きつけたお金を渡す様にいい、その内から50両をポンと渡し、好きに使って下さい、平さんという。そして浜松を過ぎ、舞坂の旅籠・みょうが屋で待ってほしい、明日の昼頃に必ず追いつくが、これからもわしと一緒にやってくれるかと尋ねる。平蔵がよかろうと答えると、善八は、血を流さず、争わず、無いところかららぬ、女子供に手をつけないで、盗人の本道をまっすぐ歩いていける人でないと30年かけてものにした奥義秘伝を伝えられない、そのうちの初歩のことを岡部の宿で書いておいたので、今夜眼を通して下さいといって、林を出て北の方へ去っていった。
 平蔵は林の中で座り込み、帳面を見ると表紙に「盗法秘伝」と書いてあり、つとめをする時は月の出入りの時期をよく知ること、夏の終りの頃がつとめに最もよいこと等と容易ならざる内容である。読み終えた平蔵は浜松の本陣へ行き、見付の木村同心にすぐ舞坂へ来る様手紙を書き、届けてもらうことにした。
 翌日の昼過ぎ、舞坂のみょうが屋に善八が現われ、浜松はずれの盗人宿にお金を隠したが、そんな盗人宿が諸国に7ヵ所ある、お前さん次第で皆譲ってもよいというので、平蔵はわざと生きていく張り合いが出てきた、おれも盗みの名人になると答えると善八は大変喜び、今度は部厚い本を出した。見ると表紙に「お目あて細見さいけん」とあり、中には善八が目を付けた32軒の商家等の図面や資料がびっしりと書かれ、これ又容易ならざる内容である。
 翌朝、善八と平蔵が旅籠を出た途端、峠にいた無頼共が7人、脇差を抜いて斬りかかってきた。平蔵は峯打ちで7人をたちまち倒す。そして2人は舞坂を出て、白須賀の手前の汐見坂にかかった時、平蔵は一休みしようといって林の中へ入り、お目あて細見をもう一度見たいと頼む。もう平蔵を信じ切った善八はすぐに出すと、平蔵がすぐ懐に入れたので、善八の顔色が変わる。この時木村同心が林に入ってきたので、平蔵が大声で呼ぶと、木村は無頼共が町役人に訴えたが、私が役人を取り静めたと報告し、善八には平蔵の身分を明かした。
 驚く善八に平蔵はこの細見はおれが預っておく、達者で暮せ、隠居は早い程いいといってさっさと街道へ出た。10両盗めば死罪の法があるので、木村が何故お見逃しになるかと聞くと、「おれだとて火盗改めの長谷川平蔵ではない平蔵のときもあるわさ」という答えが返ってきた。
 以上が概要であるが、平蔵が宇津谷峠で若い男女を見て助けようとする。何気ない場面であるが、中世では役所の門前に他殺死体があっても、被害者の家族から訴えがなければ、役所は捜査をしなかった。犯罪があれば訴えがなくても捜査するのは、江戸時代からであった。(参考:磯田道史「徳川がつくった先進国日本」文春文庫)
 次に善八が盗賊ながら男女2人を升屋から逃し、秋葉山麓の茶店に匿い、身の振り方を考えてやる。また平蔵も升屋の追手がかからぬ様に町役人を動かし、守ってやる。こんな2人の動きがごく自然である。
 最後に平蔵はお目あて細見を没収し、男女の身の振り方のことも考え、善八に達者で暮せという。木村同心に問われて、「おれだとて火盗改めの長谷川平蔵ではない平蔵のときもあるわさ」という答えがとてもいい。