第23回『池波の先祖の地』
池波正太郎の父方の先祖は天保の頃私の郷里、越中・井波から江戸へ出た宮大工であったので、それを何かに書いたところ、井波の歴史民俗資料館長の岩倉節郎が熱心に誘い、昭和56年の10月、池波は58歳にして初めて井波を訪れた。
随筆「越中・井波」(小説現代57年3月号)によれば、まず縁続きの池波宗七が明治30年まで住んでいた家跡を訪ねている。次いで同じ浅草生まれで井波に嫁いだ久保夫人に会い、井波の印象を尋ねる。「ほんとによいところでございますよ。こんなに人情の深いところはございません」という返事が池波にはとても嬉しかった。
翌朝再び町を歩くと養老院もあり、この町で骨を埋めるのもいいとしきりに思う。その翌日、戦国時代に法灯を守るため宗徒が結束して大名と戦った瑞泉寺を訪ね、堂々たる大伽藍、彫刻の数々を見て、先祖がこの寺の改築に加わったのだと思うと、井波が本当に故郷に思えてくるのであった。
これを契機に池波は57年3月、58年3月と故郷へ帰り、町の人との交わりを深める。そして『銀座日記』(銀座百点58年11月号)に大好物の利賀のわさびを土産に岩倉が訪ねてきたと初めて井波のことを書く。
さらに井波が初めて登場する小説『秘密』を週刊文春61年2月号から連載し始めた。これは果し合いで家老の息子を斬ったが、仇討される身となった片桐が、医師の父の弟子のいる千住に隠れ、手伝っているうちに、医師として生きたくなり、かつて一時隠れ住んだ井波で、父の弟子から「我々が必ず守り通すので後を継いでほしい」と頼まれたことを思い出し、恋人と秘密の場所井波へ旅立つ話である。
まるで井波が主人公のような小説で、井波へ移り住みたい池波の気持ちが強く出ている。そして62年5月、池波自身もその井波に旅立ち、町の人に大歓迎される。しかし、週刊文春6月号の連載随筆『ルパスタン』には、自分の終えんの地は井波でも東京の家でもないような気がすると書き、当時私は理由もよく分からず、ただ残念に思ったものである。
他方『銀座日記』の62年1月号には、池波の56年の帰郷から世話係を務めてきた町役場の大和秀夫が夫婦で作ったおいしい里芋を送ってくれたという趣旨の文を書き、以後63年1月号、平成2年1月号にも同様の文を書いたので、井波の「里芋の大和さん」は池波ファンの中で有名になった。
そして平成元年、今度は井波生まれの髪結いの五郎蔵が登場する鬼平犯科帳『ふたり五郎蔵』をオール読物7月号に発表する。
これは盗賊暮坪が火付盗賊改め方出入りを許された五郎蔵に、女房を人質に取り、改め方の裏門を開けさせ放火し、鬼平の失脚を図ろうとしたが、鬼平に見破られ、逮捕される話である。しかし門を開けた上女房を残党に連れ去られた五郎蔵は入水自殺を図るが、救助され、再び改め方出入りとなる。
私は五郎蔵が鬼平の右腕となり、池波と同じ浅草聖天町生まれの女房は女賊となって今後活躍するのではないかと思っていたが、残念ながら池波は平成2年5月に急逝し、この井波ゆかりの作品が鬼平の最後の作品となった。
平成20年の5月、井波町高瀬の岩倉節郎夫人にたまたまお会いしたところ、亡くなる前の年であったか、池波が金沢から急に夫に会いにきて、二時間ほど話をして東京へ帰ったということだが、これが最後の別れとなったそうである。
また里芋の大和さんともお話をしたところ、池波個人は最後まで井波に住みたいと考えていたが、母堂や夫人に配慮して住まなかったそうである。これを知った私は嬉しくてしょうがなかった。