第5回『蛇の眼』

 平蔵が長官としての断固たる決意を初めて明かすのは、第9話の『蛇の眼』(『オール読物)』昭和43年8月号。文春文庫2巻)である。

 友人の病気見舞の帰途、平蔵が本所・源兵衛橋の蕎麦屋へ入ると、小男の先客がおり、勘定を払う際にちらと、横眼で平蔵を見た。その眼の色は相手が平蔵と知っており、「お先に」と笑顔でいう両眼には、一瞬前に平蔵への憎悪が走ったような気がした。窓から客を見ると、橋の中央でこちらを振り返り、さらに乞食に施しをする。

 平蔵の勘ばたらきは凄く、何人もの盗賊を逮捕した実話が残っているが、この時もすぐ外へ出ると、客がおらず、橋を渡り、まっしぐらに駆けた。これを橋下の水に潜り、逃がれた小男は、その後大川へ泳ぎ出るにつれ、帯と着物を頭に乗せ、事もなげに大川を泳ぎ渡って行った。これが去年以来平蔵を暗殺せんとした大盗・くちなわの平十郎とは、平蔵も思っても見なかった。

 蛇は大仕事を成功させるため、本郷の顔役・三の松に平蔵暗殺を頼んだが、2回とも失敗した。特に2回目は平蔵が白刃を下げて雷神党本拠へ打ち込み、浪人8人全員を斬り倒した。

 町奉行所からも「長谷川だとて、昔若き頃は無頼の群れへ入って悪事を働いたというではないか。それが今、ろくな調べもせず、自ら刃をふるって賊を斬り捨てるという。お上のなすべきことではない」と批判が出た。

 これに対し平蔵は、「世の中の仕組みが俺に荒っぽい仕事をさせぬようになれば、いつでも引き下ろう。だが今は一の悪のために十の善が亡びることは見逃せぬ。悪を知らぬ者が悪を取り締まれるか」とびくともしなかった。

 ところで蛇は、元将軍侍医・千賀道有の屋敷に狙いをつけ、2年前から近くの日本橋・高砂町で印判司を営んできた。一味の者が多数平蔵を恐れて江戸を去ったが、精鋭が6名いるし、暗殺で150両を使ったし、平蔵への意地もある。急ぎ働きをすることとし、その日を占わせると、6月20日、22日が吉と出た。20日と決めた時、蛇の両眼が飛び出し、銀色に光った。

 他方平蔵は、故千賀道有の孫・道栄から、老中・田沼意次(おきつぐ)と親しかった祖父の遺した金銀6千8百両を幕府へ返上するので、医学の発展に使ってほしいという相談を極秘裡に受け、老中・松平定信に言上ごんじょうしたところ、一任されたので、20日の午前中、表向きにならぬように女駕籠かご2つと行列を千賀屋敷へ送り込み、金銀を勘定所へ運び込ませた。

 その夜、蛇一味の1人が恋仲の下女に千賀屋敷の戸を開けさせて入り、残りの5人を招き入れた。一味は次々と人を殺し、道栄に蔵を開かせたが、結局この若き有能な医師をも殺し、30両を奪って屋敷から消えた。

 21日になって別件で逃走中の一味の座頭が逮捕され、22日には千賀屋敷の22名皆殺しの惨状が発見され、猿ぐつわで縛られた下女が救出された。二人の証言から小田原の水之尾に一味の盗人宿があることが分かり、23日平蔵は同心6名と馬を乗り継ぎ、夜に水之尾に到着した。24日一味が到着すると、平蔵は「蛇は俺がる。あとは皆斬って捨てい」と命じ、大手を広げ、蛇の眼をした小男に組みつくと、凄い音を立てて男の両腕の骨が折れ砕けた。

 ところで火付盗賊改め方は江戸市中及び近隣諸国を巡回し、放火、盗賊、博奕ばくちを取り締まり、犯人の逮捕、裁判を行った。将軍の警護等に当たる軍隊である先手組(弓11組、鉄砲24組)は、その内1組(冬期は2組)が加役かやくといって改め方を務めた(『国史大辞典』)。そして長谷川平蔵は、「至りて精勤。町々大悦だいえつの由。今では長谷川が町奉行の様にて、町奉行が加役の様に相成り、町奉行だいへこみのよし。何もかも長谷川にせんをとられ、是これではかなわぬと申し候由」と、町民には大変評判が良かった(『よしの冊子そうし』)。