第38回『金太郎そば』

 中村吉右衛門主演の第22話「金太郎そば」(フジテレビ)が平成元年1月24日放映された。お竹は池波志乃が演じた。「銀座日記」によれば、翌日、池波正太郎は67歳の誕生日を自宅で祝ってもらった。しかし数日後久し振りに外出し、神田の山の上ホテルに泊ると、何を食べても食欲が出ないし、部屋で足が滑り、何度も転倒する。急性白血病が発症したのであった。原作の「金太郎蕎麦」(「にっぽん怪盗伝」角川文庫)は、鬼平犯科帳の前に書かれた短編盗賊小説の一つで、「鬼坊主の女」等とともに「鬼平外伝」と呼ばれる。原作の概要及び映画の感想は次の通り。

 お竹は越後・津川の母の実家で生まれた。父は既に亡くなり、母も6歳の時に病死すると、小商こあきないをする伯父夫婦は子沢山なので、江戸の旅商人の口添えで、9歳のお竹を本所の醤油酢問屋・金屋へ下女奉公に出した。

 主人・伊右衛門は養子で、算盤より書画が好きで、女房・おこうが1人で商売を切り回していた。お竹はこのお上さんに可愛がられ、商売を仕込まれたが、私が幸せになる程世の中はうまくできていないと思っていた。

 その通りとなる。お竹が14歳の時、お上さんは脳溢血で急死した。以後金屋の商売は全く振わなくなり、主人・伊右衛門は15になる息子・伊太郎と下女・お竹と老僕・善助を連れ、深川の裏長屋へ引き移った。そしてお竹と善助は子供のおもちゃにする巻藁まきわら人形を売って歩き始めた。はじめはもうけが少なかったが、そのうち2人合わせて日に、4、500文位になった。

 3年経った。伊太郎はこの間父を亡くしたが、同情した同業の横田屋に雇われ、働いている。だが母親ゆずりの才気と愛嬌があるので、横田屋はある日、酒屋をやってみないか、近所に30両で、いい売り店があると伊太郎に勧めてみた。

 伊太郎は、とんでもない、倒産後子供のおもちゃを売って10両程貯めましたが、とてもと首を振ってみせた。だがその10両を見た横田屋は、お母さんそっくりだ、そんな商いでよく貯めたものだと感嘆すると、伊太郎は恐れ入りますと目頭を押さえてみせた。

 しかしそのお金は、1日も早く、小さなお店でもいいから持って下さいと、お竹が伊太郎に差し出し続けてきたものである。これはお竹のお上さんへの御恩返しでもあり、将来の夫に対する愛情でもあった。ただし伊太郎が少し前に横田屋の18歳になる娘・おりよといい仲になっていることをお竹は知らなかった。

 横田屋も娘のことを知らず、10両で足りない金額は私が出そう、その代り娘のおりよをもらってくれないかというと、伊太郎はもったいないと殊勝げにいってみせた。

 おりよとの婚礼を済ませてから、伊太郎は深川の裏長屋へきて、女房にすると約束した覚えはないが、善助と一緒に働きにくるかと尋ねるので、お竹は表情も変えず断わり、3日後に浅草・阿部川町の居酒屋兼飯屋・ふきぬけ屋へ住み込み女中として入った。

 そこの主人から、嫌なら勧めないが、いい儲けになる話があるのだがといわれた時、お竹の虚脱状態にあった頭に、女1人食べていくために、金屋のお上さんの様に商売をしてみたいという考えがぱっと浮んだ。

 またお竹は、人形を売り歩いていた頃、3ヵ月に1度だけ、上野の無極庵むきょくあんで1杯の温かい蕎麦をすするのが唯一の生甲斐だったから、蕎麦屋をやりたいという思いがぱっとひらめいた。

 決心をしたお竹は、ふきぬけ屋の女中をしながら、主人の世話で、時々そっと池ノ端・仲町の水茶屋へ出かけた。お客は優しい人ばかりだったが、半年後に会った川越の旦那は特別であった。お竹が眠っている間に、お礼に20両を置いて去っていった。お竹はこれを見て身震みぶるいをしたが、有難く使わせて貰い、本郷・春木町の売り据えの店を買い、念願の蕎麦屋を始めた。

 しかし店の場所も悪く、また雇った前の店の職人の腕も悪かったから、仕入れた材料が残る日が続き、出前の小僧も逃げ出してしまい、職人の由松と2人切りになってしまった。

 その時、きらりとお竹の脳裡にひらめいたのは、水茶屋のお客で江戸でも有名な彫物師ほりものし「ちゃり文ぶん」のことであった。すぐ浅草・駒形の家を訪ねると、1年振りに会ったちゃり文は何事かとあわてたが、お竹の切実な願いを聞いて、心よく引き受けてくれた。その日から3ヵ月、お竹は1日おきにちゃり文の家へ通いつめる。

 それが終るとお竹は無極庵を訪ねた。幸い主人の瀬平が働き者のお竹を覚えていて、居間に上げてくれたので、窮状を話し、職人をお貸ししてもらえないかと陳情することができた。

 その後お竹は勝負に出た。旦那、馬鹿な女と思われるかも知れませんが、見て下さいましといって、地味な木綿の単衣ひとえの肌を、ぱっと脱ぐ。

 左の純白の胸部にまさかりをかついだ金太郎の真赤な顔が現われた。恐らく金太郎の全身がお竹の左半身に抱きついているのであろうが、ちゃり文がお竹のために高度な技法で朱入り、金入りを施した美しい彫物であった。

 驚いている主人夫婦に対し、お竹はお詫びをして肌を入れた後、これは客寄せの彫物で、もろ肌を脱いで、店でも働き、出前にも出るつもりですと説明をした。そして自分の過去を包み隠さず語り、ここでお店が失敗すれば、心がぽっきりと折れ、どうにもならない女になる気がしますと結んだ。
 主人は、ようござんす、腕のいい職人1人を3ヵ月貸しましょう、その間にお客を集め、3ヵ月経ったら彫物を見せてはならない、これを約束してくれるなら相談に乗って上げましょうと答えてくれた。

 お竹の捨て身の行動は見事に効を奏した。無極庵の職人・房次郎は由松を教え込み、蕎麦の味を一変させた。また、お竹の化粧もせず、髪に鉢巻をし、金太郎を躍動させて一生懸命に蕎麦を運ぶ姿は、人々の心を捕えた。たちまちお竹の店は満員となり、3ヵ月後肌を収めても客足は絶えなかった。

 それから約1年経った文化2年6月27日。大泥棒・鬼坊主清吉が2人の子分とともに市中引きまわしの上、品川で処刑される日である。途中何度か休止があるたびに、鬼坊主は「武蔵野に名ははびこりし鬼あざみ今日の暑さに少ししおれる」と辞世の歌を高らかに詠むので、見物人が押しかけた。

 最後の休止の時、鬼坊主は今一番先に頭に浮ぶものは何かと子分達に聞いた。2人は女と答えたが、鬼坊主も池ノ端の水茶屋で会った女が今も忘れられないと打ち明けた。

 丁度その頃お竹の店では、由松が鬼坊主の話をしていたが、お竹はそんな見物をしているひまがないと全く関心を示さなかった。

 またお竹はこの日も川越の旦那に一目会いたい、今日あるのは旦那のお蔭だと由松にいう。由松はお察ししますと答えたが、その雰囲気からお竹は、由さん、私を好いてくれているらしいねというと、由松は真赤になり、あわてて蕎麦を切り出したため、親指を少し傷つけてしまった。

 以上であるが、小説の川越の旦那と呼ばれる鬼坊主清吉に代って、映画では木更津の旦那と呼ばれる藁馬わらうまの重兵衛が登場する。盗賊・藁馬はお竹を裏切った横田屋の伊太郎を懲らしめるため、横田屋へ忍び込み、伊太郎が寝ている間に髪を切り、手箱の85両を盗み、藁馬を置いてくる。

 髪切りについては、鬼平犯科帳「男の隠れ家」(文春文庫21巻)に、盗賊・玉村の弥吉が婿養子の吉野屋の主人をさげすむ女房・お里の髪を同様にして切る話がある。

 また藁馬については、盗賊が犯行後誰が盗んだかを知らせるために残すもので、鬼平犯科帳では、狐火の勇五郎が狐火の札、血頭の丹兵衛が自分の名前を書いた札を残す等の例がある。なお藁馬は深大寺の赤駒、信州・相原の藁馬、千葉の真菰馬まこもうま等各地にあり、木更津にもあったかも知れない。

 次に映画の最後では、木更津の旦那が夜遅くお竹の店の前までくる。待伏せをしていた平蔵が、木更津の旦那が盗賊だと知ったら、お竹は何と思うのかとさとし、盗賊・藁馬はいさぎよく縄につく。この結果、藁馬は罪一等減じられて島流しとなり、お竹と由松はめでたく夫婦めおととなり、金太郎そばは本郷の名物として益々繁盛したという。

 最後に池波志乃は一途で行動的なお竹を見事に演じているし、映画第35話「猫じゃらしの女」、第109話「五月闇さつきやみ」にも出演し、現在しか考えないでたくましく生きる女・およねをあざやかに演じている。