第24回『番外編 乳房(中)』

 ところでお松は道玄坂の茶店に5日程いたが、町駕籠に乗せられ、長次郎の家へ移された。彼女は何もかも長次郎にまかせて逆らわなかった。自分は行く当てもなし、もう幸せにはなれないし、世間の水に流されて行くだけだと思ったのである。

 他方お松は正気に戻ってから食欲が盛んになるし、長次郎の家では留守番のお兼婆さんに代わって掃除から洗濯までこなし、みるみる内に健康を回復していた。
 
 だから長次郎が7日目に自分の正体を打ち明けた時も、お松は驚かなかった。江戸時代、店を持たず抱え女もなく、独りで素人女を客に取り持つ「阿呆鴉あほうがらす」と呼ばれる稼業があったそうである。彼は裏ではそんな稼業をしていたが、そうすることで不幸せな女を幸せにするのが、真の阿呆鴉と信じている。そんな思いも込めて長次郎が自分がいいと思うお人がいるが、会ってみないかと誘うので、まかせてみることにした。
 
 翌々日の午後、お松はとび色の地味なお兼の古着を着て、お兼が結いあげた髪に絹の女頭巾をかぶり、長次郎に連れられ、不忍池の出合茶屋月むらに入った。待っていた人は中仙道の倉ヶ野宿場の大きな商家の旦那といわれる徳兵衛である。小太りの身に上等の羽織と着物を着て、太い眉の下の眼が優しい。二人になると、腰に乗って踏んでくれないかといわれ、汗ばみながら踏んでいると、次第にお松は足の裏から親しみを感じてくるのであった。
 
 翌日お松は湯島の鰻屋森川へ町駕籠で連れて行かれた。そこで今まで食べたことのない鰻を頂き、お代りまでさせてもらった後、習い覚えた腰踏みを一生懸命にしてあげていると、その人が一緒に上方見物をする気持ちがないかと真剣に尋ねてきた。
 
 実はこの頃お松は日に何度も胸の内で勘蔵にお詫びをしている。しかしお上に捕まるのも怖く、早く江戸を離れたかった。それでこの人にまかせてみようと決心したのである。
 
 翌々日の夕方、お松は月むらに再び連れていかれ、徳兵衛と自然に結ばれ、それから半月後上方に旅立っていった。
 
 10月の半ば三次郎が平蔵の屋敷を訪ね、勘蔵の死体が発見されたこと、ゆすりで捕まえたおさんという女が勘蔵と同棲していた女で、何日か忘れたが、家の近くにくると、勘蔵が殺されて御用聞がきており、犯人にされるのが嫌で逃げたといっていることを報告した。
 
 翌日三次郎は平蔵にいわれて勘蔵殺害の日を下谷の御用聞に聞いたところ、その日はお松失踪の日と同じ8月17日であった。だがその御用聞に勘蔵は悪い奴だし、忙しいし、この一件はお互いに忘れようといわれた。
 
 年が明けて天明2年になり、三次郎は事件が多いのでお松の探索をあきらめ、平蔵の西の丸御徒頭就任のお祝いも女房に行かせた位だったが、ようやく梅雨の晴れ間に平蔵の屋敷に伺った。そして池ノ端の丁字屋の番頭が商用で上洛し、清水寺の桜を見ていた時、大店の主人のような人とお松によく似た女が通り過ぎた、しかしその女の身なり、晴れやかな顔、若女房振りがかつてのお松と余りにもかけ離れ、人違いと思ったという話を耳にしたと報告したところ、平蔵は勘ではあるが、その女はお松に違いないといった。事実、それはお松であった。
 
 それから5年が過ぎ、天明7年の9月19日、平蔵は火付け盗賊改め方長官に就任した。1か月後お松が徳兵衛と別れて江戸へ帰り、10月下旬、長次郎の小間物屋に現れた。
 
 
 長次郎は、ひわ茶色の女頭巾をかぶり、籠目模様の渋い着物に仙斎茶せんさいちゃの帯をしたお客が入ってきた時は、気がつかなかったが、そのお客が頭巾を外した時、お松だと気がつく。上方にいくお松に以後は他人だと約束させた長次郎は、困惑したが、お松が徳兵衛に別れ話を出されて帰ってきたというと、同情するのであった。

 同じ日の夜、浅草六軒町の船宿小串屋で倉ヶ野の旦那徳兵衛とお松を江戸へ送ってきたその番頭の芳之助が会っていた。
 
 芳之助が、今日お松さんを尾行すると、長次郎の店に入ったと報告したところ、徳兵衛は長次郎ならお松を無下に扱うまいと喜んだ。
 
 また芳之助が代わりに別れ話を伝えた時、お松さんは私のような女がいつまでも旦那のお傍にいられる訳がなく、この日がくるのを覚悟していたことを報告した。徳兵衛はお松とこのまま京で暮らしたいと思ったが、世帯が大きいので最後のお盗めをしなければならなくなったと深いため息を吐いた。
 
 そして今度火付盗賊改め方長官になった長谷川平蔵という旗本は鬼平といわれる恐ろしいお人だ、3年もかけた今度の仕事はやめられないが、念には念を入れてやらねばといって、その夜徳兵衛は舟を使って故郷に帰って行った。
 
 一方お松は田町の宿屋上総屋へ戻り、預けた荷物を持って長次郎の許へ移ってきた。その際上総屋に届いていた徳兵衛の手切れ金200両を、お松は長次郎にポンと預けてしまった。そしてお兼の娘が上方で生んだ孫娘ということで、彼女はお兼の家に寝泊まりし、お兼の夫の看病、小間物屋の店番等をしながら、暮らし始めたのである。
 
 12月に入ったある日、芳之助が本所から舟で御厩河岸に着くと、居酒屋豆岩の亭主岩五郎が横手の屋台で草鞋を売っていた。芳之助は10年前彼の父で越中伏木出身の本格の盗賊卯三郎を手伝ったことがある。思わず話しかけると、彼はまだ足を洗っていないというので、その内つなぎをつけるといって芳之助は急いで去っていった。
 
 しかし岩五郎は秘密の連絡方法で火付け盗賊改め方の佐嶋与力にそのことをすぐ報告した。というのは、7年前岩五郎は父とともに逮捕されたが、父が中風になったので、佐嶋与力の配慮により密偵になったのである。

 12月25日、また秘密の連絡方法で岩五郎は佐嶋与力と会い、明後日赤堀の芳之助と浅草の舟宿小串屋で会うと報告した。そして今回は倉ヶ野の徳兵衛が江戸で最後の大きな盗めをすると思う、自分は全力で動きを探るが、その代わり赤堀の芳之助を自分同様に密偵にしてほしいと要望するので、佐嶋与力はやってみようと即答した。

 正月に近いその日、お松は小間物屋の店番をしていると、四十がらみの男がふらふらと店へ入ってきて土間に倒れた。お松が抱き起こすと男の顔は土気色である。急に立ち暗みがしてというので、お松は長次郎のめまいの丸薬を持ってきて水で飲ませ、居間に男を寝かせる。やがて長次郎が帰ってくると、男は居間から這い出してきて、早稲田の薬舗回生堂の主人松浦屋庄三郎であるが、この方に助けられたとお礼をいう。長次郎が駕籠屋まで送るため抱きかかえながら外へ出ると、松浦屋庄三郎は振り向いて、またもお松に深く頭を下げた。これが運命の出会いであった。(続く)