第12回『兇賊』

 平成18年2月17日にフジテレビで鬼平犯科帳スペシャル「兇賊」が放映され、久々に中村吉右衛門の鬼平や梶芽衣子のおまさを見て、とても楽しかった。この原作(文春文庫5巻)は、『炎の色』や『密告』と同じ本所・深川時代の鬼平にまつわる話だが、鬼平に対する思慕や恩義ではなく、怨恨から生まれた話である。

 一人働きの盗賊で、神田で居酒屋を営む鷺原の九平は、郷里・加賀からの帰り道、くりから峠で偶然鬼平の殺害を話す3人の男の顔を盗み見た。江戸へ戻ったある夜、店へ来た浪人が、客の嫌がる夜鷹を人並みに扱うので、九平は好意を抱く。ところがこの浪人が帰った後、外で争いがあった。2人の男が「鬼平を仕損じた」と言って店の前を通り過ぎ、それがくりから峠で聞いた声であった。外へ出ると、敵を1人倒した浪人がおり、後をつけると、火付盗賊改の役宅に入る直前、「おやじ、ご苦労」と言われてしまう。

 鬼平に知られてしまった九平は、すぐに知合いの居酒屋へ身を隠した。しかしある日、くりから峠の男の1人が客として店にやって来たので、九平は後をつけ、盗人宿を見つける。そこを見張っていると、もう1人の男が出てきて料亭・大村へ入っていった。数日後、盗人宿から武家の召使い姿の男が出てきて、途中侍姿の男と合流し、鬼平の役宅へ入った。その侍姿の男は二千石の旗本の用人と名乗り、主人と大村で会ってほしいと頼み、鬼平が了承するが、九平はそれを知らない。

 役宅を出た侍と召使いが大村へ入るのを見た九平は、もうこれで密偵の真似はやめようと思い、軍鶏しゃも鍋屋・五鉄へ入るが、人相書を見た密偵に逮捕され、役宅へ連行されてしまう。そこで鬼平が大村へ行ったことを偶然知った九平は、「長谷川様が危ない」とその理由を説明するのであった。

 一方、鬼平が大村の離れで会ったのは、旗本ではなく、兇盗・網切の甚五郎であった。網切は大村の人を皆殺しにして料亭を乗っ取り、昔悪事を行ったとはいえ自分の父親を殺した鬼平に、復讐しようとしていた。すぐに浪人が殺到し、弓矢が射込まれ、鬼平は小刀だけで数人倒して外へ出たが、すべてのがん灯が鬼平に集中し、絶体絶命となった。しかしそのとき、九平のおかげで改方の部下たちが馬で駆けつけ、鬼平はまさに九死に一生を得る。

 だが鬼平は、大村の全員を殺害した網切を許さなかった。約半月後、逃げた網切と2人の男がくりから峠へさしかかると、鬼平が部下と九平と現れ、網切は両腕を斬り落とされ、苦しみながら死ぬのであった。

 鬼平犯科帳がテレビで初めて放映されたのは、昭和44年10月7日のことであった。故松本幸四郎が鬼平を演じ、池波も脚本に手を入れたり、かつら等のアドバイスを行ったりして力を入れたので、この番組は大変な人気を呼んだ。

 ところで、中村吉右衛門が四代目・鬼平を演じる番組が始まったのは、平成元年7月12日である。池波は「5年間中村を待って番組を作った甲斐があった」と、『銀座日記』(新潮文庫)に書いている。また、7月17日の第2回の放送は、脚本を書いた大親友・井出雅人がその前日に急逝したので、涙でよく見えなかったとも書いている。なお、この親友の死を契機に、池波の体力、気力は衰え出したといわれる。

 番組の最終回「流星 鬼平があぶない」は平成2年2月21日に放送されたが、池波はそれがよかったことや食欲がないことを書き、これが『銀座日記』の最終回となった。

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